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2004年1月 アーカイブ

2004年1月 1日

謹賀新年

 新年明けましておめでとうございます。2004年となりましたので心機一転、昨年のことはなかったことにして、サッカー百鬼夜行も2004年バージョンとして気分も新たにやっていきたいと思いますので今年もどうぞよろしくお願いいたします。別にリニューアルも何もする気はありませんけど。
 さて、1年の計は元旦にありということで、今年最初のサッカーの試合である天皇杯決勝戦、ジュビロ磐田対セレッソ大阪の試合は1-0で磐田の勝利。意外な気もしますけど、ジュビロ磐田は天皇杯初制覇となり、前回の更新でも言った通り、札幌は今季天皇杯優勝監督を指揮官として迎え入れることになりました。まぁ、といっても去年も天皇杯優勝監督だった気もしますんで、単に実績だけを重視しても仕方がないんですけどね。柳下監督もJ2は未経験であることや、これまで彼がずっと面倒を見てきた磐田とは選手のレベルに大きなギャップがあることなど、多少の懸念事項がないわけではないですけど、とりあえずざっと見渡した限り現時点では、監督が替わるたびに繰り返されてきた3バックか4バックかといったどうでもいい話題が見当たらないだけでもいいかなと。

 でまぁ、新潟と広島が昇格し、仙台と京都が降格してきて、京都に崔龍洙が加入したり湘南にアマラオが加入したり、川崎にマルクスが加入したり鳥栖がはなわにオファーを出したりと勢力図としては大きく変化がありそうな今季のJ2の中で、話題的にもネタ的にも地味も地味、イヤー・オブ・ザ・ジミーといった感じの札幌。クラブの体力的にも確かにあまり大きなことを言えるような状態ではありませんが、これまでの歴史上下馬評が低い時のほうがいい結果を出しているような気もしますので、温かく見守っていこうかなと思っています。
 というわけで若手育成の長期計画の元年となる今年は、選手の応援歌なんかも作っていきたいですね。城福強化部長が本気で25人体制で行くつもりとは思えませんので、これから何人かの補強があるとは思いますが、今のところレンタル選手は砂川だけとなったわけですし、今まで伝統的に札幌は選手個人の応援歌って少なかったですから。原点に戻って応援していきたいものです。

 そんな感じでまたついうっかり思いつきでなんかの企画をやるかもしれませんので、改めまして今年もよろしくお願いします。

2004年1月 5日

燃えろ若い衆

 さて新年明けて天皇杯も終わり、Jリーグもオフ期間中である日本サッカー界は、高校サッカー一色といっても過言ではありません。マスコミ的にはユース代表FWの平山相太選手を擁する国見高校が注目の的のようですが、札幌サポーターの注目は当然、札幌入りが内定しているMF桑原剛選手を擁する筑陽学園高校。初出場ながらベスト8にまで駒を進め、本日行われた準々決勝・岐阜工戦も3-2と競り勝ち、ベスト4に勝ち残りました。掲示板であきのさんが寄せていただいた情報によると初出場でベスト4というのは17年ぶりの快挙だそうです。横浜F・マリノスのエース久保竜彦を始め、セレッソ大阪の久藤清一、うっかり忘れてましたが吉瀬広志など多くのJリーガーを輩出している高校であることを考えると、筑陽が初出場だったことのほうが意外のような気もしますが、福岡県代表は1979年以降、89年の伝習館と91年の福岡大大濠を除いて必ず東福岡と東海大五の独占が続いており、さもありなんといった感じではあります。
 その筑陽の自慢はなんと言っても今大会3試合で桑原の2ゴールを含む11得点という破壊的な攻撃力。その代わりに失点も6と、全国高校サッカーのテーマソング通りにまったくもって振り向かないサッカーを見せている筑陽。次節の相手は同じ九州の強豪・鹿児島実業高校です。鹿実といえば2回戦で来季から桑原のチームメイトとなる斉川を擁する札幌第一高校が敗れた相手(斉川自身はケガのため出場せず)です。だからなんだと言われても困るのですが、筑陽が勝てば12日の決勝を見に行こうと思いますので、頑張って欲しいと思います。

 さて、選手権出場校の中でコンサドーレ関係といえば、もう一人鵬翔高校の上田常幸選手。大晦日に西ヶ丘サッカー場で行われた鵬翔対星陵の試合を見てきました。上田を見るのは先日の高円宮杯U-18で見て以来2度目となりますが、相変わらずヘディングには自信を持っているようで、空中戦には強いところを見せていました。鵬翔はこの試合に2-3と破れ、上田も残念ながら1回戦で姿を消してしまいましたが、やはりそこはかとなくスペクタクルのかほりがするあたり、札幌のディフェンスを担う資格は充分だと思いました。
 まぁ、とりあえず今年からは彼らもコンサドーレのユニフォームを身に纏ってプレイするわけで、いやが上にも彼らに対する期待は高まります。もちろん高校を卒業したてのルーキーが揃って活躍出来るほどJ2は甘いところではありませんが、若い選手は鍛え方次第でいくらでも伸びることが出来るわけですから、フィジカルや基本スキル、そして忘れちゃいけないオモシロ人間っぷりを鍛えて一日も早くレギュラーとなれるよう頑張って欲しいと思います。

2004年1月 7日

目指せ紫紺の旗(←別競技)

 さてさて第82回全国高校サッカーも準決勝が行われました。ワールドカップを含むトーナメント方式の大会で、もっとも面白い試合が見られるといわれるのがこのセミファイナル。しかし、札幌サポーターにとっては毎年だいたいここまで来た段階で多くの方が「高校生のサッカー」以上の目を向けることがなくなってくる頃合いです。まぁ「高校サッカー以上の目を向ける」っつっても別に無理矢理大学サッカーだと思いこむとかそういうことじゃあないんですけど、おしなべて高校サッカーというのは、出場校のOBだとか、家族や親戚の兄ちゃんが選手として出場しているとか、はたまたチアガールに萌えたからとかいった何か特殊な理由でもない限りは、だいたいは地元の高校を応援するという方がほとんどだと思います。そこの高校生の万引きに苦しんでいる近くの商店のおばちゃん以外は。
 そしてJチームのサポーターの場合は、出場選手の進路も概ね決まっていることが多いこの時期の大会、やはりオノレのひいきチームに入ってくる選手をお目当てに見ることが多いことでしょう。しかしながらこと札幌のサポーターに限った場合、大会が準決勝まで来れば北海道代表の高校も既に姿を消していることが多いですし(北海道代表校の最高成績は、1986年の第65回大会で今季からトップチームのコーチになったザイーこと財前恵一前U-18監督や、現ヴォルカ鹿児島の野田知らを擁した室蘭大谷がベスト4に進んだのが最高成績)、ベスト4ともなるとその顔ぶれのだいたいがコアなサッカーファンでなくともどこかしかで名前を聞いたことがある強豪中の強豪校で占められるのがほとんど。コンサドーレはそういった高校にパイプがありませんから、「札幌入団内定」の選手も既に姿を消していることが多いわけです(この時期に既に札幌入りが決定していた選手としては、2001年の第80回大会の相川進也のいた前橋育英のベスト4が最高成績)。もちろん最後まで残らなくても、もっといえば選手権に出場していなくてもいい選手はいるのですけど、あくまで高校サッカーを楽しむという観点からいえば、今までは他のチームに入団が決まっている選手を「いい選手だなぁ~」と指をくわえるどころかお魚までくわえて見ているしかなったのです。

 しかし今年はちょっと違います。札幌に入団の内定している桑原剛選手を擁する筑陽学園高校が準決勝に残っているからです。つっても平日昼間の試合、当然のことながらオレは仕事中ですから、会社で昼飯を食いながらの後半だけの観戦でしたけど、もう今年は指もお魚もくわえる必要はありません。まぁ弁当のシャケはくわえてましたけど
 さて強豪鹿児島実業を相手にしたこの試合、職場のテレビをつけると1-0でリードしています。前半の流れは見てないのでわかりませんが、後半はリードはしているものの鹿実に一方的に押される展開が続いています。鹿実の攻めが雑だったことに助けられてはいましたが、それでも追いつかれるのは時間の問題と思われました。
 そして案の定後半28分に守備の乱れを突かれ同点に追いつかれました。しかし、このまま延長突入かと思われた試合終了間際、桑原が相手ペナルティエリアやや外からのフリーキックを直接叩き込んで突き放しに成功。そのまま逃げ切って見事に決勝進出を決めました。鋭いカーブのかかったフリーキックも見事だったのですが、もっと見事だったのが蹴る前から「絶対に入れてやる」というオーラがひしひしと感じられ、そしてその通りに決めてしまったこと。3試合連続となる3ゴール目ですが、そのどれもが同点に追いつくゴールや決勝ゴールであるように、勝負強さも持ち合わせているようです。札幌に来たら是非智樹とフリーキックの奪い合いをして欲しいものです。

 そんなわけで決勝の相手は予想通りというかなんというかやっぱりモンスター平山を擁する国見高校。もはやいうまでもない強豪高校ですが、その国見を倒せばオノレの名前と共に札幌の注目度も上がるでしょう。とりあえず、まずはグーグル先生でフルネームを検索すると一番上に来る「ねじ式(原作:つげ義春)」の映画スタッフを追い抜きたいところです。

 あとリンク1件追加。千春さんのjin web site。尽の応援サイトです。

2004年1月 8日

ヤンツー出迎え準備

 前回の更新で「北海道勢は第65回大会の室蘭大谷のベスト4が最高成績」と書きましたが、すいませんそれは誤りで、実際は1978年の第57回大会での準優勝(室蘭大谷)が最高成績でした。メールも含めて一斉のツッコミが入りまして、記憶違い&調査不足にはなはだ恐縮する次第です。改めて失礼いたしました。何しろ26年前ですからハタチのオレはまだ生まれてなかったもので…。
 さて、年末あたりからこのサイトの更新ペースは上がったものの、よく考えてみたらほとんどトップチームの話題に触れていないことに気づきました。まぁとりあえずチームはオフ期間ですし、契約更改なんてのもあんまり興味がないので話題性に乏しいせいもあるのですけどね。ヤンツーこと柳下監督が札幌にやってきて記者会見でもすればまた変わってくるのでしょうけど、今のところは傍観といった感じでしょうか。
 ところでこのヤンツー、おそらく皆さんも「なんでヤンツーなのか」と首をかしげたことがあると思います。オレもこれは疑問でした。日本人には榎本健一を「エノケン」、木村拓哉を「キムタク」というふうに姓と名を略して呼ぶことが多いですが、本名が「ヤンバルクイナ・ツタンカーメン」とかならまだしも「やなぎしたまさあき」をどう略そうとしたってヤンツーにはなりません。謎は深まるばかりです。少なくとも2年間は共にやっていく以上、これはもうサポーターとしては知っておかなければなりませんし、何よりわからないものをわからないままにしておくのは非常に気持ち悪いことこの上ありません。ここは是非とも真相を掴んでおかなければならないのです。じっちゃんの名にかけて。
 で、早速調べてみたらジュビロ磐田のスポンサーであるネスレジャパンのサイト内のジュビロコーナーにある柳下監督のインタビューの中にその由来が書いてありました。そりゃ本人に訊くのが一番手っ取り早い、っつーかインタビュアーもやっぱり気になってしょうがなかったみたいですけど、ヤンツー自身の答えは以下の通りでした。

 「これ、分からないんですよ。」

 じっちゃん撃沈

 本人にすらわからないんじゃ誰だったわかるはずないじゃん。インタビューによれば小学校4年位の時知らないうちにそうやって言われるようになったらしく、なぜそう呼ばれるようになったのかは未だにわからないとのこと。この様子では多分名付け親が誰であったかすら謎のままでしょうが、その名付け親もその愛称がよもや30年以上も生きながらえ、しかも同窓会レベルとかじゃなく全国的に呼ばれることになるとは思っていなかったでしょうね。
 まぁおそらくはそんなに深い理由はなかったのでしょう。「やなぎした」というのは長くて呼びにくいから、「やなぎ」とか「やっちゃん」とか呼ばれているうちに次第に進化していったとかそんな感じでしょう。まぁニックネームなんてそんなもんですよね。オレも本名が苗字だけで5文字あるのでよく略されまして、それが今の「ちゅう」というハンドル名になっているわけですけど、そう名付けられたのは大学ででした。つまり大学生ですらそんなレベルなのですから、ましてや小学生のつける名前に理由を求めちゃいけないのかもしれません。
 そんなふうに一件落着したところで、観戦記のタイトルをどうしようかという問題が残るわけです。

2004年1月15日

蒲田行進曲

 というわけで今更ですけど高校サッカーの決勝。王者国見高校に挑んだ初出場の筑陽学園は、皆さんご存じの通り0-6で粉砕されてしまいました。

 フフフフ…圧倒的じゃないか、敵軍は…

 国見を見るのは別にこれが初めてではありませんけど、名古屋章…じゃなくて小嶺総監督は毎度のことながら本当にソツがないチームを作ってきます。平山くんばかりが騒がれていますけど、10番兵藤くんをはじめ他の面々もみんなうまいですし、攻めてはサイドチェンジを多用し、手薄となった逆サイドを徹底的に突いてフリーの選手を作り出す、守ってはボールにプレッシャーをかける選手、パスコースを潰す選手、こぼれ球を狙う選手が常に控えており、セカンドボールに対する意識も非常に高い、つまりは攻守にわたって基本的なことをキッチリ遂行しているわけです。もともとハイレベルな選手たちが一切手抜きをせずに約束事を守っているのですから、これではまったく隙がないのも当たり前。そういえばコンサドーレ札幌のU-18も国見とは高円宮杯で当たって0-4で破れていますが、それも致し方ないかといった感じでした。
 とはいえ、確かに点差はかなり開いてしまいましたし、この試合の内容からしてもっと点差が開いてもおかしくなかった試合でしたけど、筑陽の面々もだいぶ固くなっていました。多分普段の実力からすればそこまで力量差はないと思いますが、決勝という大舞台における慣れの差だったんでしょうか。桑原くんにもあまりボールが回ってこず、なすすべなしといった感じでした。それでも随所に見所は作っていましたけど、さすがに相手が悪かったとしかいいようがありません。
 まぁそうは言っても初出場で準優勝というのは胸を張っていい成績だと思います。その原動力の一つが桑原くんだったことに異論を挟む人は少ないでしょう。彼にはここまでやれたという充実感と、ここで勝てなかったという悔しさを持って北海道に来て欲しいと思います。あと彼女はかわいかったです。

 さて久しぶりにトップチームの話題なんぞを。本日付けの日刊スポォツによると、道都大MF鎌田安啓選手の入団が内定したとのこと。昨年12月の御殿場合宿に練習生として参加したという報道がありましたが、このたび正式契約を結ぶ運びとなったようです。同紙によれば鎌田選手は静岡県出身、浜松湖東高卒業後に社会人のヤマハ発動機を経て道都大に入学したという異色の経歴を持っているらしい…って、ヤマハ発動機? それって10年以上も前にジュビロ磐田になったハズじゃ…。東海社会人リーグにもそんなチームはないし…。新聞には年齢書いてなかったけど、実はベテランルーキーだったってオチじゃないですよね。ロッテの丹波健二じゃないんだから。そうじゃなければ実はラグビー部のほうでしたというのならまぁ、フィジカルはスゴイかもしれませんけど確かに。google先生に問い合わせてもこれといった回答が得られなかったので、詳細をご存じの方がいらっしゃれば是非ともご教授願いたいところです。
 で、この鎌田選手は左サイドのMF。なるほど。だとすると韋駄天放出決定ですか? さらにはプレイの特徴として「左利きのテクニシャンで左サイドおよびトップ下をこなす」と書かれていました。ふーむふむ。道都大の田代正信監督による寸評も、「小柄だが、体が強く、スピードがある」というもの。ほうほう。

 なぜだか一瞬「ジャディウソン」という単語が頭をよぎったのですが、宇宙人なら経歴の不思議さもきれいに説明がつきますね。うん。

 というわけでこの鎌田選手で今季は8人もの新人選手を獲得し、文字通り一からのスタートとなります。今週末にキックオフパーティーが予定されていることからも、シーズン前の新戦力獲得はこれで打ち止めでしょうか。まぁあとはシーズン中の状況を見ながら臨機応変に獲得するという感じなのかもしれません。とにかく、監督も替わったことですしほとんどのメンバーが横一線からのスタート。逆に言えば頑張れば誰もがレギュラーを獲れる可能性があるということですから、ギラギラしてくれることを期待しています。ススキノでギラギラするというのは勘弁な。

2004年1月18日

スタート

 前回更新のヤマハ発動機について、いろいろ情報をいただきました。ヤマハ発動機はジュビロ磐田誕生と同時に分離したアマチュアチームで、現在東海社会人リーグの2部に属しているチームだそうです。なるほど、さすがに2部のチームまではチェックし切れませんでした。情報をくださった皆さんどうもありがとうございました。
 さて、コンサドーレ札幌は新監督ヤンツーが16日に満を持して札幌入り、就任記者会見が行われ、17日には新人選手たち、および新スタッフの入団記者会見も行われました。同じ日には恒例のキックオフパーティーも行われ、そこで今季の選手の新背番号が発表されています。韋駄天もいました
 背番号の詳細は道内の各メディアにも載っていますし、他の札幌系サイトでもいろんなところで取り上げられているので触れませんが、めぼしいところではソダンが4番。昨年までの18番から4番への変更となります。背番号というのはそれぞれの希望が最優先されたはずですが、J1に高額で移籍するという狙いがあるかどうかは定かではありません。
 その他ではユースからの昇格組の鈴木智樹が19番。昨年までは中尾康二が付けていた番号ですけど、個人的には19番というとどうしても優津樹のイメージが強いです。天才肌なのは似通っていますが虚弱体質まではマネしちゃダメよ。あと事故にも気をつけるように。

 あとヤンツー。就任記者会見では「5位以内を目指す」と、きわめて現実的な目標を掲げています。とりあえず今年は大きく出られるメンバー構成ではありませんが、かといって今季のJ2の力関係を考えた場合、5位というのは絶対に無理であるとは言えないでしょう。まぁ、そうは言っても我々は前年度9位のチームであるということを忘れてはいけませんけどね。
 そしてヤンツー自身はどのようなサッカーを志向していくのかになりますが、本人としてはやはり磐田のようなパスサッカーをベースにしたいようです。まぁ「選手に何ができて、何ができないのかを練習で見極めたい」という前提付きではありますが。昨季までなら「うちのチームで何が出来ないのか」と問われれば、そりゃあもちろんサッカーが出来ねぇと即答出来ましたけど、昨季のレギュラーのほとんどが抜けましたので、じっくり見極めていただきましょう。
 そんなわけでチームは、今月末から予定されているグァムキャンプからの始動となります。かまわないから好きなようにやっちゃってください。

2004年1月23日

韋駄天、西へ

 昨日から全体練習が始まり、ヤンツー体制下で新たなスタートを切ったコンサドーレ札幌ですが、その矢先の本日、韋駄天こと和波智広がヴィッセル神戸に1年間の期限付き移籍をしたとクラブから発表がありました。キックオフパーティーにて今季の背番号も発表され、他のチームもそろそろ動き出す時期まで来ての突然の移籍。もちろんJリーグのルール上は何も問題はないのですが、和波の移籍は事実上なくなったものと思われていただけに、あらまぁビックリといった感じです。
 しかも移籍先は当初噂されていたガンバ大阪ではなく、経営母体が替わって何かと話題のヴィッセル神戸。それまでコンサドーレと同様特定の親会社を持たず、コンサドーレと同様多額の累積赤字を抱えて昨年12月についに民事再生法を申請、つまり倒産し、その後インターネットショップの最大手「楽天市場」を経営するクリムゾングループに引き取られたチームです。クリムゾングループのCEOを務める地元・神戸出身の三木谷浩史氏は、総資産600億円以上と言われ長者番付にも名を連ねる大富豪であることから、チーム消滅を免れたどころか一気にお金持ちクラブの仲間入りすら可能となったわけで、マスコミは神戸がリバウドを獲るだとかバッジオを獲るだとか藤田俊哉を獲るだとかもっとビタミン摂らなきゃねとか好き放題騒いでいます。
 その信憑性はともかくとしても、事実としてヴィッセル神戸は親会社のない貧乏生活から、一気にお金持ちの親会社が出来たわけです。これで引き取られた先で意地悪でもされればまさにリアルキャンディ・キャンディとなるわけですが、そのクリムゾングループの有り余る資金力を背景に獲得したのが和波というのもまたあらまぁビックリといった感じです。しかもレンタルだし。まぁいくら親会社がお金持ちだからといっていきなり成金にはなりませんよということなんでしょう。同じ孤児院クラブの札幌としては複雑な感情ではありますが、まぁ単純に西谷の穴を埋めるってことだと思います。埋まるかどうかは別として。
 まぁそんなこんなで札幌はまた1人選手が減りました。健作もまだリハビリ中ですから、左サイドはかなり手薄になると思いますが、まぁ手薄なのは今に始まったことではないですし、いってみれば全てのポジションが手薄なんですから、もう今更どうだっていいや。遺された人たちで頑張るしかないですね。

 それと今季限りで札幌を退団するいのっちこと井上敦史が、JFLの横河武蔵野FCへ移籍することになりました。活躍を祈ると同時に、横河の試合も見に行って、甲高い声で「クリアー!」と叫びながら自分でパンチングするいのっちを堪能したいと思います。

2004年1月27日

うる清野つら

 というわけでほとんどのコンサドーレサポーターにはさほどの驚きをもたらさなかった和波の神戸移籍。以前から移籍を示唆しておりある程度予想の範囲内ではあった上、サポーター間では「好不調の波が大きい」、言い換えれば「たまにすごいことをするけどダメな時はてんでダメ」と見事なまでに評価が一致している選手が一人出て行ったくらいでは、1999年の吉原宏太に始まり、2000年はエメルソン、2001年が俺王様、2002年に山瀬功治、そして去年の今野泰幸と、核となる選手の移籍が5年も連続したチームのサポーターにとっては屁のつっぱりにもなりませんよ。
 とはいえ、実際問題として和波が抜ければ所属選手が一人減るというのは、小学生はもちろんオレにすらわかることです。和波の抜けた穴自体は、まぁいい時と悪い時を平均すれば決して埋められない穴ではないとしても、城福強化部長も言っている通り「4人しかいないFWの補強が優先」となるのは当然でしょう。ただでさえ4人しかいないFWのうち、ルーキーの斉川はケガのリハビリ中ですから、実質3人しかいないわけですからね。
 そんで人数的なことにも加えて問題となるのが高さ。4人の中で一番背が高いアイカーですら179cm、他のメンバーも岳也が175cm、斉川173cm、新居に至っては精一杯ゴマかして170cmですから、高さ面ではどうしても不利になるのは否めません。確かに2000年はちびっ子2トップでJ2優勝を果たしましたが、それもエメルソンという高さ面での不利をカバーしてあまりある人間ではない何かがいてこその話。ケガであまり活躍出来ませんでしたが、一応高木琢也という高さのオプションもありましたしね。そういうオプションがないとわかっているならば、相手チームも対策は立てやすいでしょう。
 まぁそんなことはフロントもとっくにわかっているでしょうが、だからといって単に高さがあればいいと言うわけではありません。それでいいならソダンは今頃ディフェンスやってないでしょう。高さがあってうまい選手はどこのチームだって欲しがるパーツです。高さのあるストライカーが必要だとわかっていながら今まで放置されていたのは、単純に札幌が獲得出来るような選手の中に的確な人材がいなかったということなのでしょう。

 そんな欠けていたピースを埋めるべく、現在一人の元Jリーガーがテスト生として札幌の練習に参加しています。その男の名は清野智秋22歳。身長182cmという恵まれた体格を持つ彼は秋田商業高から名門ジュビロ磐田に入団、U-19日本代表にも名を連ねて将来を嘱望された選手でありながら、累計で一千万円とも言われる多重債務で解雇された選手です。その「Jリーグの千昌夫」がヤンツーのつてでテスト生となり、グアムキャンプにも帯同するという話。
 磐田退団後は東海社会人リーグの静岡FCで得点王。ヤンツーの評価は「スピードがあり、個人で打開でき、高さもある。ボールテクニックは非常に高く、右足のシュートはかなりいい(日刊スポォツ)」とかなり高いようです。「能力が高ければ多少の気性難には目をつぶる」といういかにも札幌らしい補強(まだ獲得すると決まったわけではありませんが)ではありますが、頑張って正式契約を勝ち取ってください。借金だって桑田真澄に比べりゃはした金だ。

 その他めぼしい話題としては、今季からクラブは特別指定選手制度をめいっぱい活用するということですかね。今年は札大、道都大という北海道の大学サッカーの両雄の選手を強化指定するようです。まぁ単純に考えて今年のトップチームは人数は少ないですし、札大や道都大はコンサドーレにも勝ったことがあるチームですから、大学生だろうが家事手伝いだろうが現在の選手たちに見劣りするとは言えないでしょう。
 そんなわけで今年の強化指定選手候補として、現在3年生(今年4年生)の札幌大MF斉藤勇志選手と、道都大DF権東勇介選手の2人が札幌の練習に参加しています。どんどん練習してどんどん試合に出てもらいたいもの。つまり権東、権東、雨、権東です。
 去年の札大と道都大の主将だった河端と鎌田を獲得し、今年は両大学の新主将を強化指定。今までの反動が城福部長に主将集めをさせているのではないかとちょっと心配です。

2004年1月29日

キングオブサッポロ帰国

 チームは今月末からグアムキャンプに入ります。現在は札幌でフィジカル中心のトレーニングをしていますが、その中でブラジルはサンパウロにあるポルトゲーザへ留学に行っていた"King of Sapporo"新居が、約1ヶ月半の留学期間を終え昨日帰国しました。
 順調なスタートを切った1年目に比べれば不本意とも言える結果に終わった2年目の昨季は本人としても相当悔しかったようで、短期とはいえクラブに直訴してまでブラジル留学を果たした新居、その成果はどうだったのかという話になりますと、新居自身のコメントは「スピードはまぁまぁ通用した」とのこと。確かに瞬時にトップスピードに入れる速さは誰にでもあるものじゃありません。ただ、君の武器はあくまで人を喰ったような俺様っぷりであることを忘れてはいけませんよ?
 まぁそうは言っても「旅は人を成長させる」とも言います。なんだかんだで普段とは言語も文化も異なった環境に身を置き、普段とは違った生活を送ってきたわけですから、たとえ1ヶ月半でも何かを掴んできたに違いありません。新チームが始動して約一週間ほども経過してから、得意げな笑顔で悠然と新千歳空港に降り立った新居の写真を見ていると、ある意味「来日」と言えなくもないと思いました。

 もっとも、同時に「仮出所」という言葉も頭に浮かんだわけですが。

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