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2015年12月 アーカイブ

2015年12月 5日

行く人来る人2015

 今年もまたこの季節がやってまいりました。

 まず今季限りでの契約満了選手として、クラブからMF菊岡拓朗、DF薗田淳、FWナザリト、MFニウド、MF古田寛幸、FW前田俊介の6選手の名前が発表されました。ケガなどの事情もあったにせよ、出場時間や年齢、あとたぶん(※札幌にしては)(※比較的)高いと思われる年俸面を考慮すれば、「残念だが当然」といった感じかも知れません。
 U-15から手塩にかけて育ててきた古田の名前もありますが、今年22試合に出ていながら、そんな印象がまるでないという時点で察するべきなのかも知れませんね。

 あと報道では「西岡のヒーロー」ことMF神田夢実が退団者、いわゆる「ら族」に名前を連ねていましたが、どうやら誤報だったようで。西岡出身(生まれは平岸ですが)としては平静を装いながらも割とショックではあったのでほっと一安心といったところですが、しかしなんでまたそんなことになったんでしょうね。
 クラブから事前にプレスリリースがあったなら間違えようもないはずなので、記者さんはクラブハウスでの取材を元に記事を作ったのでしょうけど、彼のことなので声をかけても晩飯のこととかスプラトゥーンのこととか考えてまるで上の空だったので、記者さんが変に察してしまったとかそういうオチなんじゃないでしょうか。
 まぁ一安心とは言っても4年目の来季が勝負であることには変わりないので、レギュラー争いに顔を出して欲しいですね。

 そして「来る」選手についてですが、報道によれば今季はどうやら新人選手の獲得はしない模様です。既にアカデミーからの昇格選手がいないということは判明していますが、大学や高校からの加入もないようで、新人選手が入らないのは実に18シーズンぶりなんだとか。18年前ってあなた、今のアカデミーの選手の大半が産まれていない頃ですよ。もちろんオレはハタチでした。
 チームとしては即戦力補強にポイントを絞るという方針のようです。まぁなんだかんだで減ってしまったとはいえ、ここ3年で1チームぶん以上の人数を昇格させてきて、ちょうど高校卒~大卒あたりの年代が飽和状態になっていますからね。

 じゃあ誰が来るんだという話ですが、今のところはまだ具体的な名前は噂レベルでも出てきていないようです。その代わりと言ってはなんですが、今期13得点を挙げチーム得点王となったFW都倉賢選手が早々とチーム残留を自身のTwitterで宣言しました。
 毎年チームの屋台骨となるべき中心選手が移籍していき、なかなか継続的な強化ができないことが多いコンサドーレ札幌ですが、まずは攻撃の軸となる選手の契約更新にほっと胸をなで下ろしているところです。これでFWは選手を獲るのではなくグルテンを摂る方向で落ち着きますね。

 最後になりますが、今季途中からFC岐阜に期限付き移籍していた砂川誠選手が、今季限りで現役を引退することを明らかにしました。岐阜へのレンタルの時点で、おそらくもう選手として札幌に戻ってくることはないと覚悟はしていただけにショックはありませんが、最後に赤黒のユニフォームを着てピッチに立つ姿を見ておきたかったですね。
 2003年に柏レイソルから移籍していて、今季まで12シーズン半。これはもちろんチーム史上最長。どのような状況にあってもチームを全力で支え続けた偉大なレジェンドが、静かにユニフォームを脱ぐことになりました。

 今後は札幌で後進の指導に当たるとのことですが、ひとまず20年間の現役生活、お疲れさまでした。我々もスナさんを応援できて幸せでした。スナさんの「フリーキックを蹴って入らなかった時の絵に描いたようなエビ反り」を、我々は忘れることはないでしょう。

2015年12月10日

コンサドーレセンターバック列伝

 今年も北海道コンサドーレ札幌 Advent Calendarの季節がやってまいりました。2013年はレジェンドな助っ人、2014年はストライカーについて書いてきましたので、今年はコンサドーレに在籍したディフェンダーについて書いてみたいと思います。

 ディフェンダーというのは難儀なポジションです。一発のミスが命取りになり、それが勝敗を左右することもあります。もっとも、「勝敗を左右する」という意味では、攻撃の選手が決定的なチャンスを狙い澄ましたようにぶっぱずして同点あるいは勝ち越しをフイにするのも一緒なんですが、守備の選手は失点に関わる機会が多い上に、挽回するゴールの機会もそうそう訪れないですからね。
 見る側も「毎試合無失点なんてあり得ない」というのは頭ではわかっていつつも、失点の場面では必ずと言っていいほど守備側の対応のまずさがあるものですから、つい「もっとあそこでしっかりついていれば防げたんじゃないか」ということを考えてしまいがちですよね。
 そして、間一髪のところを身体を張って防いだり、うまい対応で未然にピンチを防いだみたいなのはあまり見てる人の印象に残らないのもまた事実。「ちゃんと守れるのが当たり前」という風潮は、システム保守を仕事としてる立場としては同情します。

 そんなわけで、普段はあまり報われることの少ないディフェンダーに絞って、これまで札幌に在籍したレジェンドたちを振り返ってみたいと思います。
 といっても、何しろJ1史上最多失点記録を保持してたりする我らがコンサドーレ、ディフェンダーのネタには事欠かなくてですね。書きたい選手があまりにも多くて、結局泣く泣く省いた選手もいますので、あらかじめご了承ください。
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○ルイス・カルロス・ペレイラ(1996~1998)
 1996年、ヴェルディ川崎(当時)から旧JFLに誕生したコンサドーレ札幌へ移籍。背番号0を背負い、初代のミスターコンサドーレとして親しまれました。ヴェルディ時代にリーグMVPに輝いた実績に違わぬ抜群の守備能力で1997年のJFL優勝に貢献、またフリーキックも得意としており、1996年には7ゴールを挙げています。Jリーグに返り咲いた1998年には既に38歳という年齢で、ケガなどもあって11試合の出場にとどまり、退団。現在はブラジルでのんのんびよりしている模様。

○名塚善寛(1999~2001)
 1999年にJ2降格(1回目)となった札幌が巻き返しを図るべく、メインスポンサーの撤退により経営規模縮小を余儀なくされたベルマーレ平塚(当時)から引っこ抜いてきました。日本代表キャップ保持の実力に違わぬ活躍で、2000年には平均失点わずか0.55という堅守の中心的存在として活躍。札幌のセンターバックはどちらかというと「柔の者(北斗の拳で言えばトキ)」が多いのは、たぶんこの人の影響。
 J1に昇格した翌年も今のところ札幌の歴史上唯一の残留に貢献しましたが、慢性的な両足首の痛みからこの年限りで現役を引退。現在はコンサドーレ札幌のアカデミーで指導にあたっています(※すみません、現在名塚さんはトップチームコーチでした)。

○古川毅(1997~2002)
 JFL時代の1997年に大塚製薬(現徳島ヴォルティス)から移籍。教員免許を持つことから「古川先生」の名で親しまれました。割と相手に行きがちな「先生パス」や真上に飛んでいく「先生クリア」、それでも直接失点には繋がらない数々の守備スキルを始め、たまに見せる控えめな「先生ドリブル(激レア)」などで厚別を沸かせました。札幌のセンターバックの系譜に漏れず「柔の者」タイプではありますが、ゴールポストに頭を強打しながらも決死のクリアをするなど、熱い面を見せることもありました。
 2002年限りで札幌を退団、モンテディオ山形へ移籍したあと2004年に現役を引退し、京都や札幌の育成部を経て現在は東洋大学サッカー部の監督を務めています。

○曽田雄志(2001~2009)
 言わずと知れたミスターコンサドーレ。北海道の名門札幌南高校から筑波大学を経て、2001年に新卒選手として加入。当初はFWでプレイしていましたが、その類い稀なジャンプ力を買われDF転向。以後、「天空の覇者」として空中戦では無類の強さを誇りました。札幌のCBには珍しい「剛の者(北斗の拳で言えばラオウ)」タイプですが、それとは裏腹な難解コメントでカリスマ的な人気を集め、2007年はブルーノ・クアドロスとのコンビでリーグ最少失点(45点)の堅守を支えJ2優勝に貢献。しかしこの頃から腰と膝を痛め思うように活躍できず、2009年シーズンを最後に現役を引退。現在はコンサドーレ札幌のアドバイザリースタッフを務めながら、地元での講演活動やアスリートのセカンドキャリア支援など様々な活動を行っています。

○池内友彦(1999~2000、2005~2008)
 1999年から2000年に鹿島アントラーズから期限付き移籍、その後鹿島に戻ってから5年後の2005年に改めて札幌に完全移籍という、珍しい形で在籍。2005年の完全移籍の際は、2004年に禁断のリセットボタンを押し「弱くてニューゲーム」となってしまったチームを盛り上げる一方でなぜかゴールも取りまくり、11得点で「DFなのにチーム得点王」に輝きました。鹿島譲りのマリーシア精神にも溢れ、「セットプレイで前線に上がると見せかけて置いてあったボールを蹴り込む」というものすごく卑怯くさい方法で、札幌の日本人選手として初めて直接フリーキックを決めた人となりました。北斗の拳で言えばアミバ。フクダ電子アリーナでのジェフユナイテッド千葉戦での、同じく当別町出身の新居辰基との乱闘、いわゆる「当別王者決定戦」(※ただの小競り合い)は今でもオレの中だけで語りぐさになっています。
 札幌では2008年までプレイし現役を引退。現在は札幌でコーチとしてサッカークリニックを開いています。

○吉川京輔(2001~2003)
 曽田雄志と筑波大の同期で、こちらは本職のセンターバックとして加入。2年目の2002年には柱谷哲二監督に「自分に似ているから」というよくわからない理由でスタメンに抜擢されたものの、組んだ相手がよりにもよってマクサンドロだったためにどうしてよいかもわからないまま大量失点続きで自信を打ち砕かれました。後にボランチ転向などするもののレギュラーを掴むには至らず、2003年の契約満了を以てあっさりと現役を引退。わずか3シーズンのプロ生活にピリオドを打ちました。順調に成長していればラオウとトキを兼ね備えたケンシロウタイプになれるかもしれなかった選手のですが、将来を嘱望されながら来るチームを間違ってしまった不運な人。現在はナイキジャパン勤務とのこと。

○マクサンドロ・バルボサ・デ・オリベイラ(2002)
 引退した名塚善寛の穴を埋めるべく、ブラジルからやってきた助っ人。チームに馴染むために来日前から日本語を猛勉強しコミュニケーションの強化に努めながらも、開幕戦ではヘディングはかぶるわクリアもまともにできないわで散々なプレイを繰り返し、わずか3試合に出ただけで帰国。同じ年にやってきたロブソンがいろんな意味でアレだったためにあまり目立ちませんでしたが、コンサドーレのサポーターに「もうしばらくブラジル人のDFはいらない」というトラウマを植え付けました。ブラジルに帰国後いくつかのチームを渡り歩いたあと、2010年を最後に現役を引退したようです。

○西澤淳二(2004~2008)
 J2降格(2回目)の2003年に鹿島アントラーズから移籍。プレイスタイルを一言で言えば「必殺がつくほうの仕事人」で、何食わぬ顔でえげつないファウルをしたり、何食わぬ顔で思い出したようにドリブル突破をしたり、真夏の夕刻の試合でピッチに出来たわずかな日陰から頑として出てこようとしなかったり、サインに邪悪オーラ溢れる絵を書いたり、その画力をひっさげてサポーター参加のTシャツ企画に何食わぬ顔で紛れ込んでTシャツ発表したり、いろいろと味のありすぎる選手でした。北斗の拳で言えば、レイ。
 2008年、J2降格(3回目)とともに現役を引退、現在は川崎フロンターレの強化スタッフ。

○ブルーノ・エベルトン・クアドロス(2007)
 2007年、セレッソ大阪から移籍。長い金髪をたなびかせる、サッカー選手というよりはロックスターのようなチャラい風貌とは裏腹に、抜群の読みと統率力でJ2最少失点の立役者となりましたが、札幌でプレイしたのは結局この1年だけ。FC東京でプレイした2009年にはナビスコカップ制覇に貢献したように、まだまだJ1でもやれる実力はあったはずですが、契約条件が折り合わなかったのか、はたまた他に理由があったのか。彼がいても降格を免れなかったかもしれませんが、史上最速降格(当時)は避けられたかも知れませんし、何より彼を切って代わりに連れてきたのがあのノナトだもんなぁ。
 ロックスターのようなチャラい風貌とは裏腹にとても人格者で、かつ日本語も堪能。札幌在籍時に誕生した娘さんを「道産子ですよ」と紹介していたのが印象に残っています。現在はブラジルのマリーリアACというクラブで監督を務めているようです。
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 というわけで、今回はコレでおしまいです。思い返してみればなんだかんだ言って個性的な選手が多くて、構想段階では他にも書きたい選手がいた(小松崎保とか柴田慎吾とか)のですが、主に〆切上の理由で泣く泣く削りました。また機会があれば書きたいと思います。

2015年12月28日

きかんしゃブルーノ

 気を抜くとキングクリムゾンな当ブログは今日も元気です。皆様いかがお過ごしでしょうか。

 2015年も残すところあとわずかとなりましたが、積極的な選手獲得のニュースが踊る他チームを後目に、コンサドーレの補強状況はおとなしい...というかほとんど動きがありません。正式発表はもちろんのこと、メディアレベルでも具体的な名前が出ているのは、ブラジル人MFのディエゴ・マセド選手(バイーア)の加入と、川崎フロンターレを退団したDF實藤友紀選手へオファーという報道があったくらい。
 来季の新卒選手の加入はなしで、今季いっぱいでの契約満了が6選手、レンタルで他のチームに出ていたのが6選手で、そのうち引退が1名、レンタル延長(チーム変わりを含む)が2名、たぶん戻ってこないのが1名と、現時点で10人の選手が減ることが確実なので、どう見ても入りと出の人数が合っていません。
 そもそも今季までの保有人数が多すぎたって話もあるでしょうけど、人数的にはともかく戦力的には今年10位で終わった陣容からどこまで上積みできるかってのは気になるところですよね。サッカーの世界において現状維持は後退とほぼ同じですから。

 その一方、選手ではなくスタッフについては割と大きなニュースがありまして、2007年に札幌に在籍したブルーノ・クアドロス氏がトップチームコーチに就任したことが発表されています。かつて現役で活躍した選手が、引退後にコーチングスタッフとして戻ってくるのは別に珍しい話ではありませんが、外国籍選手がこうして戻ってくるのは札幌では初めてではないでしょうか。「今度は監督として帰ってきたい」と涙を浮かべて退団会見した一週間後に満面の笑みでアトレチコPRの入団会見をしていた人なら知ってますけど。
 指導歴はというと...調べてみたらリネンセでは強豪ひしめくサンパウロ州選手権(1部)で9位と健闘を見せたものの、ドゥケ・デ・カシアスではリオ州選手権(1部)、全国選手権(3部)ともに最下位で降格、マリーリアではサンパウロ州選手権(1部)でやはり最下位降格でした。

 「好奇心は猫を殺す」という言葉の意味をかみしめているところです。

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