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2015年12月10日

コンサドーレセンターバック列伝

 今年も北海道コンサドーレ札幌 Advent Calendarの季節がやってまいりました。2013年はレジェンドな助っ人、2014年はストライカーについて書いてきましたので、今年はコンサドーレに在籍したディフェンダーについて書いてみたいと思います。

 ディフェンダーというのは難儀なポジションです。一発のミスが命取りになり、それが勝敗を左右することもあります。もっとも、「勝敗を左右する」という意味では、攻撃の選手が決定的なチャンスを狙い澄ましたようにぶっぱずして同点あるいは勝ち越しをフイにするのも一緒なんですが、守備の選手は失点に関わる機会が多い上に、挽回するゴールの機会もそうそう訪れないですからね。
 見る側も「毎試合無失点なんてあり得ない」というのは頭ではわかっていつつも、失点の場面では必ずと言っていいほど守備側の対応のまずさがあるものですから、つい「もっとあそこでしっかりついていれば防げたんじゃないか」ということを考えてしまいがちですよね。
 そして、間一髪のところを身体を張って防いだり、うまい対応で未然にピンチを防いだみたいなのはあまり見てる人の印象に残らないのもまた事実。「ちゃんと守れるのが当たり前」という風潮は、システム保守を仕事としてる立場としては同情します。

 そんなわけで、普段はあまり報われることの少ないディフェンダーに絞って、これまで札幌に在籍したレジェンドたちを振り返ってみたいと思います。
 といっても、何しろJ1史上最多失点記録を保持してたりする我らがコンサドーレ、ディフェンダーのネタには事欠かなくてですね。書きたい選手があまりにも多くて、結局泣く泣く省いた選手もいますので、あらかじめご了承ください。
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○ルイス・カルロス・ペレイラ(1996~1998)
 1996年、ヴェルディ川崎(当時)から旧JFLに誕生したコンサドーレ札幌へ移籍。背番号0を背負い、初代のミスターコンサドーレとして親しまれました。ヴェルディ時代にリーグMVPに輝いた実績に違わぬ抜群の守備能力で1997年のJFL優勝に貢献、またフリーキックも得意としており、1996年には7ゴールを挙げています。Jリーグに返り咲いた1998年には既に38歳という年齢で、ケガなどもあって11試合の出場にとどまり、退団。現在はブラジルでのんのんびよりしている模様。

○名塚善寛(1999~2001)
 1999年にJ2降格(1回目)となった札幌が巻き返しを図るべく、メインスポンサーの撤退により経営規模縮小を余儀なくされたベルマーレ平塚(当時)から引っこ抜いてきました。日本代表キャップ保持の実力に違わぬ活躍で、2000年には平均失点わずか0.55という堅守の中心的存在として活躍。札幌のセンターバックはどちらかというと「柔の者(北斗の拳で言えばトキ)」が多いのは、たぶんこの人の影響。
 J1に昇格した翌年も今のところ札幌の歴史上唯一の残留に貢献しましたが、慢性的な両足首の痛みからこの年限りで現役を引退。現在はコンサドーレ札幌のアカデミーで指導にあたっています(※すみません、現在名塚さんはトップチームコーチでした)。

○古川毅(1997~2002)
 JFL時代の1997年に大塚製薬(現徳島ヴォルティス)から移籍。教員免許を持つことから「古川先生」の名で親しまれました。割と相手に行きがちな「先生パス」や真上に飛んでいく「先生クリア」、それでも直接失点には繋がらない数々の守備スキルを始め、たまに見せる控えめな「先生ドリブル(激レア)」などで厚別を沸かせました。札幌のセンターバックの系譜に漏れず「柔の者」タイプではありますが、ゴールポストに頭を強打しながらも決死のクリアをするなど、熱い面を見せることもありました。
 2002年限りで札幌を退団、モンテディオ山形へ移籍したあと2004年に現役を引退し、京都や札幌の育成部を経て現在は東洋大学サッカー部の監督を務めています。

○曽田雄志(2001~2009)
 言わずと知れたミスターコンサドーレ。北海道の名門札幌南高校から筑波大学を経て、2001年に新卒選手として加入。当初はFWでプレイしていましたが、その類い稀なジャンプ力を買われDF転向。以後、「天空の覇者」として空中戦では無類の強さを誇りました。札幌のCBには珍しい「剛の者(北斗の拳で言えばラオウ)」タイプですが、それとは裏腹な難解コメントでカリスマ的な人気を集め、2007年はブルーノ・クアドロスとのコンビでリーグ最少失点(45点)の堅守を支えJ2優勝に貢献。しかしこの頃から腰と膝を痛め思うように活躍できず、2009年シーズンを最後に現役を引退。現在はコンサドーレ札幌のアドバイザリースタッフを務めながら、地元での講演活動やアスリートのセカンドキャリア支援など様々な活動を行っています。

○池内友彦(1999~2000、2005~2008)
 1999年から2000年に鹿島アントラーズから期限付き移籍、その後鹿島に戻ってから5年後の2005年に改めて札幌に完全移籍という、珍しい形で在籍。2005年の完全移籍の際は、2004年に禁断のリセットボタンを押し「弱くてニューゲーム」となってしまったチームを盛り上げる一方でなぜかゴールも取りまくり、11得点で「DFなのにチーム得点王」に輝きました。鹿島譲りのマリーシア精神にも溢れ、「セットプレイで前線に上がると見せかけて置いてあったボールを蹴り込む」というものすごく卑怯くさい方法で、札幌の日本人選手として初めて直接フリーキックを決めた人となりました。北斗の拳で言えばアミバ。フクダ電子アリーナでのジェフユナイテッド千葉戦での、同じく当別町出身の新居辰基との乱闘、いわゆる「当別王者決定戦」(※ただの小競り合い)は今でもオレの中だけで語りぐさになっています。
 札幌では2008年までプレイし現役を引退。現在は札幌でコーチとしてサッカークリニックを開いています。

○吉川京輔(2001~2003)
 曽田雄志と筑波大の同期で、こちらは本職のセンターバックとして加入。2年目の2002年には柱谷哲二監督に「自分に似ているから」というよくわからない理由でスタメンに抜擢されたものの、組んだ相手がよりにもよってマクサンドロだったためにどうしてよいかもわからないまま大量失点続きで自信を打ち砕かれました。後にボランチ転向などするもののレギュラーを掴むには至らず、2003年の契約満了を以てあっさりと現役を引退。わずか3シーズンのプロ生活にピリオドを打ちました。順調に成長していればラオウとトキを兼ね備えたケンシロウタイプになれるかもしれなかった選手のですが、将来を嘱望されながら来るチームを間違ってしまった不運な人。現在はナイキジャパン勤務とのこと。

○マクサンドロ・バルボサ・デ・オリベイラ(2002)
 引退した名塚善寛の穴を埋めるべく、ブラジルからやってきた助っ人。チームに馴染むために来日前から日本語を猛勉強しコミュニケーションの強化に努めながらも、開幕戦ではヘディングはかぶるわクリアもまともにできないわで散々なプレイを繰り返し、わずか3試合に出ただけで帰国。同じ年にやってきたロブソンがいろんな意味でアレだったためにあまり目立ちませんでしたが、コンサドーレのサポーターに「もうしばらくブラジル人のDFはいらない」というトラウマを植え付けました。ブラジルに帰国後いくつかのチームを渡り歩いたあと、2010年を最後に現役を引退したようです。

○西澤淳二(2004~2008)
 J2降格(2回目)の2003年に鹿島アントラーズから移籍。プレイスタイルを一言で言えば「必殺がつくほうの仕事人」で、何食わぬ顔でえげつないファウルをしたり、何食わぬ顔で思い出したようにドリブル突破をしたり、真夏の夕刻の試合でピッチに出来たわずかな日陰から頑として出てこようとしなかったり、サインに邪悪オーラ溢れる絵を書いたり、その画力をひっさげてサポーター参加のTシャツ企画に何食わぬ顔で紛れ込んでTシャツ発表したり、いろいろと味のありすぎる選手でした。北斗の拳で言えば、レイ。
 2008年、J2降格(3回目)とともに現役を引退、現在は川崎フロンターレの強化スタッフ。

○ブルーノ・エベルトン・クアドロス(2007)
 2007年、セレッソ大阪から移籍。長い金髪をたなびかせる、サッカー選手というよりはロックスターのようなチャラい風貌とは裏腹に、抜群の読みと統率力でJ2最少失点の立役者となりましたが、札幌でプレイしたのは結局この1年だけ。FC東京でプレイした2009年にはナビスコカップ制覇に貢献したように、まだまだJ1でもやれる実力はあったはずですが、契約条件が折り合わなかったのか、はたまた他に理由があったのか。彼がいても降格を免れなかったかもしれませんが、史上最速降格(当時)は避けられたかも知れませんし、何より彼を切って代わりに連れてきたのがあのノナトだもんなぁ。
 ロックスターのようなチャラい風貌とは裏腹にとても人格者で、かつ日本語も堪能。札幌在籍時に誕生した娘さんを「道産子ですよ」と紹介していたのが印象に残っています。現在はブラジルのマリーリアACというクラブで監督を務めているようです。
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 というわけで、今回はコレでおしまいです。思い返してみればなんだかんだ言って個性的な選手が多くて、構想段階では他にも書きたい選手がいた(小松崎保とか柴田慎吾とか)のですが、主に〆切上の理由で泣く泣く削りました。また機会があれば書きたいと思います。

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