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2000年10月 アーカイブ

2000年10月 1日

サイトリニューアル

 何をトチ狂ったかですね。なんと言いますか2部リーグも切羽詰まった今日この頃、ネット世界にあまた存在するコンサドーレ札幌系サイト(たぶんJリーグ全体でもトップクラスの数)に改めてサイトリニューアルと称した事実上の新規参入する事もないんじゃないかとも思わないわけでもないのですが、札幌生まれの札幌育ち、現在練馬区在住、は関係ないですけど、そんなオレとして「我が愛する故郷のチーム・コンサドーレ札幌のためになにか出来ることはないか? そうだ! やっぱり今のご時世はインターネットだ! ホームページだ!」という決意にて、今まで細々と申し訳程度にやっていたペイジをぶっ潰してリニューアルと相成った次第でございます。
 それにしてもアレですね。当方ただいまカスケイデングスタイルシイトってのに挑戦しているわけなんですが、なんつぅかちっともわけわかんねぇです。IEで必死こいて調整しても、NCで見るとものすごく残念な結果になったりしますし。マルチプラットフォームなんて夢のまた夢って気もしてきますよ。わかりやすく言えば三世代同居なんてどだい無理な話ってことです。夜中に徘徊するバアちゃんのおかげでヨメも鬱気味って感じですかね。

 まぁそんな感じでチーム関係者はおろか他の誰にとってもちっともありがたくないサイトと相成った次第でございますけど、なにぶん家に例えれば基礎工事が終わった段階、八代亜紀に例えてもまだ基礎工事が終わった段階、工事中のところがほとんどですがよろしくお願いします。

2000年10月 4日

グリコ事件再び

 ようやく見え始めてきた1部昇格。まだ確実ではないとはいえ、ほとんどのサポーターにとっては「いつ決まるか?」が最大の関心事のはず。現時点で2位浦和、3位大分の成績に関係なくあと勝点6を獲得すれば昇格が決定する札幌。一番有力なのは10.15の対水戸戦(ホーム)だと言われているようですが、まだまだ予断は許しませんヨ!
 しかし、オレがモノマガジンを手に一方的な都合で妄想した結果によれば、昇格決定は10.21の対湘南戦(アウェイ)。延長Vゴールを決めた黄川田にグリコポーズで駆け寄っていく岡ちゃんの姿がはっきりと見えます! 病院探したほうがいいかもオレ!

 とまぁもちろんあまり贅沢は言っていられないのですが、なんとなく試合のない日に昇格が決まったなんてマヌケな事態になりそうな予感もするんですけどね。浦和と大分から「おまえら ゆるしたる」なんて言われた感じですか? まったく人生ままならないものですね。

2000年10月10日

横取り40萬円、ではありません

 今更ですけど、浦和レッズがフラービオ元札幌フィジカルコーチを招聘したことについて書いてみたいと思います。「家庭の事情」ということで2000年シーズン直前に急遽札幌を退団・ブラジルに帰国し、名門バスコ・ダ・ガマのフィジカルコーチをやっていたはずの彼だけに、札幌サポーターにとっては寝耳に水。
 「なんでよりによって浦和に…」なんて思っている人もいれば、「ネネ(現札幌フィジカルコーチ)のほうが優秀だから別にいいや」なんて思っている人もいるかも知れないし、「志村けんがひょうきん族のレギュラーになったようなもんだろ?」なんて思ってる人もいるかも知れません。

 つうか、別に驚くようなことじゃないんでハッキリ言ってしまえばどうでもいいです。引き抜かれたっつーのならまだしも、むしろ今まで浦和にフィジカルコーチがいなかったほうが不思議ですし、浦和にしてみれば、日本人をよく知っている上に相応の実績のあるフィジカルコーチを探したら彼だった、というだけのことだと思います。「浦和のフィジカルコーチに川藤幸三就任!」とかだったらビックリしますけど。
 そんなわけで微妙に遅れ気味の観戦記、大分戦をアップしました。

2000年10月12日

流浪人返上?

 10月9日、札幌市西区宮の沢に建設されていたコンサドーレ札幌専用の練習場が仮オープンし、そのオープニングセレモニーが行われました。スポンサーの石屋製菓が約35億円をかけて建設した練習場です。
 この練習場、社長の威信をかけて造ったものだけに、設備はスゴいです。2,000人収容のスタンドやクラブハウスはもちろん、雪国札幌の環境に合わせて融雪機能を装備。さすがにドカ雪の降る真冬はどうしようもないんですけど、それでも今までより2ヶ月早く練習可能とあって、今まで春先は練習場を求めて流浪の民となっていたチームも少しは楽になります。
 さてこのスゲエ練習場の正式名称は、「宮の沢白い恋人サッカー場」。

 泣いてもいいですか。

 とりあえず山形戦の観戦記をアップ。これでようやく世間様に追いついたことになります。

2000年10月14日

永島引退

 日本リーグ時代からJリーグ草創期の日本サッカー界を支えてきたヴィッセル神戸の元日本代表FW・永島昭浩選手(36)が、今季限りで引退するそうです。
 永島といえば、私の知り合いで長年の永島マニアの方(53歳。オレの母ちゃんの友人)がいます。その人は、永島が若手の台頭や度重なるケガなどで引退をほのめかすたびに「今年が最後だから」と、住んでいる北海道帯広市から神戸まではるばる永島のラストゲームを見に行く、ということをもう何年も続けていました。お互いにとって安息の日々が訪れることになるのでしょうか。

 というのとはまるで関係なく、試合の合間を縫ってチーム紹介をアップしました。

2000年10月16日

舞台は湘南?

 偽俺王の活躍で大分も勝利したため今節の昇格はなくなりましたが、水戸相手に90分勝利で昇格までの勝ち点は「1」となり、どうやら妄想通り湘南戦で決定しそうな予感。次節で負けさえしなければ昇格が決定するんですけど、ここに来て衝撃の事実が判明。湘南に負けた場合はともかくとして、90分で勝った場合は翌日の大分-浦和戦で浦和が90分で勝たない限りその時点で優勝が確定してしまいます。
 サポーターのイヤミなまでの手前勝手な都合だけでものをいえば、もちろん引き分ければ昇格確定&優勝はその次の対大宮戦(ホーム)で勝てばOKということになるんですけど、それではつまらないので(主にオレが)、湘南戦では妄想通りにVゴールで岡ちゃんのグリコポーズ、そうすれば翌日の大分-浦和が引き分けない限り、優勝はホームで決めてもらうことが出来ます。
 と、この期に及んで荒井義行大先生ばりに勝ち方にまで注文を付ける(しかも悪いほうに)オレですが、世の中そんなにアマくないぞ!
 ところでオレの妄想ではVゴールは黄川田なんですが、その黄川田は水戸戦のロスタイムにヘディングを競り合って頭を打ち救急車で運ばれるというアクシデント。大事には至っていないらしいのは何よりなんですけど、次節の出場は微妙とのこと。黄川田が無理ならば、ジョホールバルの再現ということでこれまで結果を出してない選手のVゴールということになりますが…。

 高木?

 というわけで水戸戦の観戦記をアップしました。

2000年10月18日

移籍金は増資(募金)で調達

 岡ちゃん「俺は天下を取るぞ! ネネ、内助の功を、頼むぞ!」
 ネネ「いまどき、内助の功でもないでしょ。エメに頼みなさい。」
 岡ちゃん「エメ!?」
 ネネ「得点王でありカードキング、エメよ。」
 岡ちゃん「…2億も集まるのかなぁ。」

 あとリンク更新、イヤな目です。説明の必要はありませんね。

2000年10月21日

太っ腹カトキュー

 引き分けでも昇格が決定する札幌は、前節甲府に勝ち点3をプレゼントしたカトキューからの大盤振る舞いによって0-3という圧勝。

 そんなわけで2年越しのトップリーグ復帰は、よりによって史上初のON日本シリーズの初戦の日という、夏に出てきた広瀬香美のようななんとも場違いなタイミングで決定しました。そして悲願の復帰も明日になれば、大分×浦和の天王山対決ですっかり忘れ去られる予定です。

2000年10月22日

摂関政治の勝利

 昇格へ残る1つの枠を争う2部の2位争いは、横山総監督の摂関政治を敷く浦和が、ベストコンディションでない俺王独裁政治の大分を0-2で下して昇格に大きく近づきました。浦和が勝ち点を87としたため札幌の優勝はお預けとなり、次節の大宮戦で引き分け以上だと優勝も確定します。
 しかし危惧していたとおり札幌の昇格はわずか一晩で忘れ去られましたが、それ以上にきれいさっぱり忘れられている感のある浦和の斎藤監督。しかし斎藤さん、気に病むことありません。来年の今頃にはリッキー・マーティンだってもう忘れられているでしょうから。

 ということで湘南戦の観戦記出来ましたよ。

2000年10月25日

ユース代表候補発表

 10月27日から行われるユース代表キャンプのメンバーに、ウチの藤ヶ谷と山瀬が選出されました。ドナドナです。優勝のかかったホームの試合(対大宮戦・29日)に出られません。ただ確かにそれは残念ですけど、ここは日本サッカー界のために喜んで送り出すべきだと思います。
 なんて昇格が決まったとたんにやたら物わかりがよくなるというのも、なんというかサポーターとは現金なもんですね。現金を通り越して出世払いといったところです。意味がわかりませんけど。
 とりあえずここまで来たからには、是非ともアジアユースの最終メンバーに残って、何とかワールドユースの出場権を手に入れて欲しいものですね。間違っても「ユース代表に拉致されたと思っていたら実は第三国で発見されてました!」なんてことにならないように祈るばかりです。

 なんて社会派なところを見せようとして思いきり失敗しているオレですけど、この間ワールドカップ欧州予選のイタリアvsルーマニアを見てたら、すごい選手を見つけました。イタリア代表のフランチェスコ・ココという選手です。何がすごいかって、"コ"が3つも連続してるあたりがすごいと思います。でも残念ながら日本では正当な評価が与えられていないようですね。いくらなんでも、「ココが変だよ日本人」なんてイタリア人なのに日本人扱いされてるのはちょっとヒドイと思います。個人的には樹木希林や段田男を超える逸材だと思ってるんですけどね。

2000年10月27日

忘れちゃいないか? あの男を

 この間ラジオを聞いていて、ようやく広瀬香美が出てくる季節になったかと思ったら古内東子だった、ってくらいJ-POPには疎いオレなんですけど、最近は小柳ゆきとMisiaの違いについて悩んでいます。どうも昨今の日本音楽界はかなり不親切のような気がします。せめて小柳トムとMikawa(憲一)くらい違わせてくれないと、俺王様と偽俺王の区別くらいしかつかないオレにはついていけません。

 さて古内東子といえば城彰二。オレはあんまりゴシップには詳しくないんですけど、一時期交際が噂されていたらしいですね。違いましたっけ? で、その城くん、スペイン残留がお流れになって日本に帰ってきたとたん、自分が呼ばれなかったアジアカップで大活躍の西澤のエスパニョール移籍が本決まりになり、どうやらこの先代表のポジションを奪われそうな気配です。予選のない2002年にフランスワールドカップでの屈辱を晴らすチャンスは、彼には訪れないかもしれません。
 しかし実は、これは残念ながら既定路線だったのです。彼の能力の問題ではありません。イヤ、彼にどれほどのサッカー選手としての才能があったとしても、城は最初からキングカズの後継として代表に君臨できない運命だったのです。
 なぜなら、彼がカズの後継者になったら、我々は彼を「キングジョー」と呼ばなければなりませんからね。それは円谷的にもカンベンって感じです。

 さてまたまたリンク更新、Consa Room of prince chibiです。

2000年10月30日

巨人・代表・小野伸二

 2000年10月29日。コンサドーレ札幌は2部優勝を決めました。長嶋巨人日本一、日本代表のアジアカップ優勝、そして小野伸二属する浦和の敗北(小野自身はドナドナ)という、マスコミがこぞって書き立てそうなネタ満載の出来事が続く最中での優勝という、なんとステキなタイミングです。
 いよいよもって広瀬香美レベルをはるかに凌駕する、言うなれば日曜19時のテレビ東京の番組のようなたたずまいを見せるコンサドーレ札幌ですが、来年はせめて「新・クイズ日本人の質問」くらいにはなりたい所存でございます。

 そんな大宮戦の観戦記アップしました。

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