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2008年6月 アーカイブ

2008年6月 1日

マモノ

2008年Jリーグナビスコカップ予選リーグ第5節
川崎フロンターレ 2-0 コンサドーレ札幌
得点者:札幌/いない
     川崎/確定無罪、推定日本人

 コンサドーレ札幌と川崎フロンターレが共にJリーグに参加してから昨季まで、札幌は公式戦では川崎に一度も勝てなかったことは、これまでこのサイトでも何度か触れてきました。ご存じの通りその勝てないジンクスは今年の室蘭での逆転勝利によりようやく破ることは出来ましたけど、その時にも書いているとおり、札幌は等々力でのアウェイ戦ではまだただの1点すら獲ったことがありません。過去の等々力での対戦は昨季まで、といっても川崎フロンターレがJ1昇格を果たした2004年を最後に対戦がなかったので正確には2004年までなのですが、以下の通りの結果となっています。

1999/04/04 J2第06節 0-2●
1999/09/10 J2第25節 0-2●
2003/06/06 J2第16節 0-1●
2003/10/18 J2第39節 0-1●
2004/06/23 J2第19節 0-6●
2004/11/20 J2第42節 0-2●

 計6試合を戦って6戦全敗、失点14に対して得点は0。対戦した年をよくご覧いただければおわかりかと思いますが、川崎と同じディヴィジョンにいた3シーズンのうち、川崎は2シーズン(1999年と2004年)で優勝、残る2003年シーズンも昇格こそ逃したものの、2位のサンフレッチェ広島とは勝点差わずか1の差で涙を呑んだのに対し、札幌はこの3シーズンのいずれも昇格レースからはぶられていたばかりか、2004年は年間わずか5勝で堂々の最下位。この年、試合数が増えた今でも破られていない「勝点100超え」という圧倒的な強さで優勝した川崎には文字通り手も足も出なかったように、分が悪いのはある意味仕方がないのですけど、それでもただの1点すら獲れないというのは不思議です。同じく札幌がある程度試合やってて未だ勝利のないスタジアムとしては、カシマスタジアムやヤマハスタジアム、日本平スタジアムがあって、それぞれ4点獲られたり5点獲られたりと景気よく負けてるんですが、それでも一応こっちも得点は獲ってるんですよ。しかも、1998年には川崎時代のヴェルディと等々力で対戦し、その時は2-1で勝っています。つまり、「等々力での川崎フロンターレ戦では点が取れない」ということ。ここまでくると、「弱い」とか「鬼門」だけで説明のつかない「何か」があるのでしょうか。コンサドーレ札幌というチームの前身が、この等々力陸上競技場を主に使用していた東芝堀川町サッカー部だったことと無関係ではないのかも知れません。ああ、一応「未勝利無得点のスタジアム」はまだ他にもあるんですけどね。大分市陸なんで。

 まぁ普通ならこんなオカルトじみた話なんて、某総理大臣(チンパンジー)みたいに鼻でフフンとかやっちゃうようなことなんですけど、この試合を見るとなんだかそんな呪いとかマモノとかの話をまともに信じてしまいそうな内容でした。川崎はワールドカップ予選に臨む日本代表にGK川島永嗣、DF寺田周平、DF井川祐輔、MF中村憲剛が、北朝鮮代表にチョンテセが招集され、さらには森勇介が半月板損傷で戦線を離脱と、主力選手を実に6人も欠く状況。一応札幌も宮澤裕樹がU-19日本代表に招集されてはいますが、フル代表とは気持ちいいほど無縁でとりあえずベストメンバーで臨める札幌が、飛車角金銀桂馬落ちの川崎に勝負にならないようではもうほんとに残りのシーズンの楽しみ方を変える必要があります。で、さすがに試合は札幌がペースを握っていたんですが…なぜだかシュートが入りません。前半早々にダヴィがスローインからのボールをうまく身体を使って打った強烈なシュートはGK植草に止められ、その跳ね返りをダイレクトで打った西谷のこれまた見事なシュートはやはりGKにセーブ。ダヴィの1対1は入らないのが普通なのでいいとしても、その後セットプレイで柴田が頭で合わせたボールは相手DFにゴールライン上でクリアされ、平岡の強烈なハーフボレーもGKがセーブ、FKからクライトンが「触ればゴール」というボールを入れてもあと一歩のところで合わないしで、結局わずかなミスを突かれて我那覇に先制を許し、終了間際にはPKをジュニーニョに決められてしまいました。まぁ結局は「決めるべき時に決めることができたかどうか」ということと、「決められるべき時に決めないとやられる」というのが、川崎と札幌の明暗を分けたという意味では、サッカーらしい試合ではあったんですけどね。川崎が枠内に飛ばしたシュートって、たぶんこの2本だけだったと思うんですけど、そのいずれも決められて敗戦となると、多少なりとも「人外の力」の存在を理由にしたくもなります。今季は「関東での雨中の試合は吉兆」というのが札幌にあったんですけど、そんなジンクスも「等々力のマモノ」の前には無力だったようです。

 そんなわけで結局、ドーピング問題でスポーツ仲裁裁判所でJリーグから受けていた処分取り消しの裁定が出され、事実上の「無罪」となった我那覇の引き立て役となってしまったわけですが、まぁ札幌はかつてゴン中山が4試合連続ハットトリックというギネス記録をアシストしたこともあるようにとても空気の読めるチームですから、別に不思議なことではないですね。というわけで我那覇さんにはとりあえず空気読んだお礼としてガンプラで手を打ちましょう…と言いたいところだけどダブルオーはガンダムじゃないからいいや。アッシマーならよかったのに。

2008年6月10日

理想と現実

 ナビスコカップの最初の勢いもどこへやら、気がつけばちゃっかり「順位表の一番下」を定位置としてしまいながらも、それでもまだグループリーグ突破の可能性残すコンサドーレ札幌は、一縷の望みをかけて札幌ドームで柏レイソルとのホームゲームを行いました。
 可能性はまだとはいえそれはあくまで「数字上の話」であって、突破のためには勝利はもちろんのこと4-0以上のスコアが必要という、貧弱な攻撃力の見本みたいなチームな上、おまけにダヴィも出場停止という札幌にとっては、1人で演劇部を作るくらい絶望的な前提条件なのに加え、万が一その条件をクリアしたとしても、それでも決勝トーナメントに薦めるかどうかは他のグループの試合結果次第という、まぁ端的に言って「うん、それ無理♪」という条件です。目標はあくまでリーグ戦でのJ1残留なので、カップ戦での決勝トーナメント進出は必ずしも求める結果ではないのですけど、それでもサポーターにとっては、数々の不利…つってもその不利も別にガリアの北花壇騎士みたいに次々と無理難題を押しつけられた結果ではなく、早い話が自業自得なんですけど、とにかくそんな不利な条件を跳ね返して奇跡の決勝トーナメント進出というのがまず理想であり、それが結果叶わなかったとしても最後までその努力の姿勢は見せてもらいたいもの。
 そして、そんなサポーターに我らがコンサドーレが示してくれた結果は、見事に0-3でした。

nabi-kashiwa.jpg

2008年6月17日

アンデルソン加入

 ちょっと所用で札幌に戻っておりました。地元にいたというのにコンサドーレ関係の情報はまるでチェックしていなかったのですが、その間に練習生としてチームに帯同していたアンデルソン・ルイス選手との契約が発表されていました。アンデルソンの契約は予想の範囲内ではあったのですけど、三上強化部長がはるばる南米はブラジル、コロンビア、アルゼンチンなどを回って選手を物色していたこともあり、そこでアンデルソン以上の選手が見つかればその選手と契約するだろうとは思ってはいましたので、そっちのほうはどうだったんでしょうね。まぁ単純に考えれば「つまりいい選手が獲れなかった」ってことなんでしょうけどね。もっといえば、札幌の出せる条件で折り合いのつく選手の中で、アンデルソンを切ってまで獲得したいと思える選手がいなかった、ってことでしょう。
 どこの国でも契約しただけでその選手を試合に使えるわけではありません。試合に出場するためにはその国のサッカー協会への選手登録が必要なのですが、国際移籍の場合はFIFAが各国のサッカー協会に対して年2回の登録期間を設けることを義務づけています。この登録期間を「ウィンドウ」といいまして、今季のJリーグの「ウィンドウ」は2008年1月11日から3月14日までと、7月11日から8月8日までの2回となっていますが、この「ウィンドウ」が開いている間しか登録することができません。要するに、これから新しく海外から選手を引っ張ってくるとしても、選手の名前をあぶり出しで書いてたりでもしない限りは、7月11日にならないと試合に出られないよということです。 しかし、これはあくまで「移籍」の場合。アンデルソンの場合は札幌の練習に参加した時点ではどこのチームにも所属していないため、選手登録に際して上記の制約を受けず、契約さえしてしまえばすぐにでも登録が可能で、登録が済めば再開となる6月29日のガンバ大阪戦からの出場もできます。既に練習に参加し、札幌の環境やサッカーにフィットするかどうかもある程度見極めができていることも大きいですし、どこにも所属してないということは当然移籍金を払うべき相手もいないということですし、年俸もそんなに高いわけでもないでしょう。大枚はたいてハイレベルな選手を獲得したとしても再開後の2試合は確実に出られない、フィットするにも時間がかかる上、日本の環境やチームのスタイルに合わずに持てる力をフルに発揮できない可能性も決して低くはないですから、そういった総合的な判断で最終的にアンデルソンをチョイスしたということなのだろうと思います。まぁ「本物」ならフィットするとか関係なく活躍できるのかも知れませんけど、そのあたりについては選手にもチームを選ぶ権利があるということなのでしょう。
 アンデルソンのプレイをオレ自身はまだ見たことがないので彼についてあれこれ言及するのは避けますが、個人的にはプレイスタイルやレベルはともかく何となく無難な補強だなという印象は否めません。どうせだったら現役ホンジュラス代表とか、現役宇宙人とか、現役未来人とか、現役超能力者とか、現役異世界人とか、現役マサイ族とかそれくらいのインパクトが欲しかったところですが、まぁ欲をいえばきりがないですね。

 で、ノナトとの契約解除も同時に発表されています。既にチームの方針は三上部長が南米で探してきた選手か、もしくはアンデルソンとの契約の二択しかなく、その場合既に埋まっている外国籍A契約枠を空けるために、ここまでリーグ戦わずか4分の出場に留まっているノナトが退団することになるだろうというのは当然の成り行きでしたから特に退団については驚きもないんですが、コンサドーレのJ1残留という命題をクリアするための点取り屋としての役割を担うべく、133点というバイーアのクラブ得点記録をひっさげ、「カタカナみっつでノナト、呼ぶ時はマタドー」とばかりにサポーターの期待を背負ってやってきましたが、結局得点量産どころか試合にすらほとんど出られないまま退団。コンディションを調整に失敗したばかりか戦術を理解しようとするそぶりすら見せなかったノナトが悪いのか、使えるようにコントロールできなかった監督が悪いのか、それともそんな選手を獲ってきてしまったフロントが悪いのか、そんなことは今更どうでもいいのですけど、一つだけ言えるのは、ノナトがたったワンプレイで伝説を残したことは間違いなさそうですね。あのスーパークロスは忘れたくても忘れられそうにないように思います。

2008年6月23日

箕輪参上

 ワールドカップのアジア3次予選も終了し、そのために中断されていたJ1リーグも来週から再開となります。リーグ戦では1ヶ月強、ナビスコカップを含めても3週間の間Jリーグの試合から遠ざかり、長いことアホみたいな過密日程のJ2にいた我々としては、どうにもこう「しばらく試合がない」という状態は慣れていませんし、かといって代表の試合を楽しもうにも、我らがチームから誰一人として選手を送り込めてもいない状況では、札幌の試合に比べるとどうしても「ヨソの子の運動会」の域を出ないため、手持ちぶさたな感じがしてました。
 ただ、じゃあ再開が待ち遠しいかと言われるとそういうわけでもなく、どっちかと言えば、憂鬱な感じがします。それはなぜかと言えば、もちろん今のチーム状況がそうさせているからに他ならず、18チーム中17位というJ2降格へ片足を突っ込んでいる順位もさることながら、ここまでのシュート数95本は全18チーム中唯一100を切ってワーストワンな上、被シュート数は212本と、これまた全18チーム中唯一200を超えてワーストワンという成績。そのあたりをもう少しなんとかしないとどうにもならんところですが、新助っ人のアンデルソンは、少なくとも諸手を挙げて歓迎できる実績はありません。まぁ実績についてはそれなりだったノナトがアレでしたし、何度も言うようですが過去も「詐称ロシアリーグ得点王」とか「自称ロナウドより上」とかいう人がさっぱりだったこともありますから、フタを開けてみればすごい選手だったりするかも知れませんけど、逆に言えばフタを開けてみないとわからんような選手に命運を託さないといけない状況では、さすがに強気になれるハズもありません。気分的にはウィザードリィで中途半端なレベルのパーティーでグレーターデーモンに対峙するような心境で、タコ殴りにされた挙げ句カント寺院に連れて行ったら、

*ささやき-えいしょう-いのり-ねんじろ!*

*コンサは はい になりました*

 みたいな感じですかね。ロスト一歩手前です。目も当てられません。

 まぁそれでも前のほうについては未知数でもやってもらうしかないとはいえ、もう一つのワーストワンの守備もなんとかしないといけないところ。漫画の世界でしたらこの中断期間で山ごもりをして、なんか宇宙的な必殺技でも身につけているものですが、実際のところ宇宙的なのは曽田さんの文章くらいなものですので、現実的な話をしなければいけません。その「現実的な」話として守備の補強となりました。川崎フロンターレから箕輪義信選手の期限付き移籍が発表されています。
 箕輪選手は1976年6月2日生まれの32歳。川崎生まれの川崎育ちですが、仙台大学を経てのプロのキャリアのスタートはジュビロ磐田でした。磐田には1シーズン半所属しましたが出番がなく、2000年に川崎へ移籍。翌年からレギュラーの座を勝ち取り、以後2007年までの7シーズンもの間、187cm83kgと恵まれた体格を生かして不動のDFとしてプレイし続けました。2005年には日本代表に招集され、ウクライナ戦で初キャップを記録。しかし、2008年はグロインペイン症候群で長期離脱を余儀なくされ、先日戦列に復帰したばかりでした。
 32歳と年齢的にはピークを過ぎていると思われますが、DFの能力において大きな要素を占める「経験」を持ち合わせており、その経験こそが今の札幌に足りないものです。天皇杯を除くJ1での112試合出場という記録は、札幌のDF登録の選手の中では初登場2位となります。トップは箕輪と2000年に共に川崎でプレイした西澤画伯(154試合)なんですが、画伯はどっちかというとその有り余る経験を暗殺術に特化してしまった感がありますし、何より結局デビューしたウクライナ戦のみに留まっているとはいえ、日本代表キャップというのは画伯にもない経験です。柴田も吉弘も素質のあるディフェンダーですが、方やルーキー、方やサンフレッチェ広島で控え中心だった選手と、経験の絶対値が足りませんし、今では札幌では欠かすことのできない存在となった西嶋にしても、札幌に来る前はただの1試合も出場機会がありませんでしたから、こういった経験のある選手と組むことによって、経験の少ない選手もそれに引っ張られてレベルアップするという効果が期待できます。もょもとと一緒に強い敵と戦えばサマルトリアの王子やムーンブルクの王女もすぐにレベルアップしていくのと、同じではないけどちょっとだけ似ています。かつて名塚善寛という経験もパフォーマンスも申し分のない選手がいたのに、名塚さんのあとは全然DFが育たなかったのはこの際全力で考慮の外に置くとして、箕輪に関しては経験だけじゃなくてプレイ面でも大きな貢献が見込まれます。事実、札幌はこの箕輪と寺田周平、伊藤宏樹の3人で形成されていた通称「川崎山脈」に対しては、等々力では1点も取らせてもらえませんでしたからね。箕輪いなくても点取れませんでしたけど。
 まぁ一つ気になる点を挙げるとすれば、グロインペイン症候群がどの程度パフォーマンスに影響するかでしょうかね。「症候群」というと、近年ではメタボリック症候群とかアスペルガー症候群とか釘宮症候群とかが思い出されるように、病気の一種と捉えられるかも知れませんが、正確に言えば病気ではなく怪我の一種で、「スポーツヘルニア」とも呼ばれます。サッカー選手に多く見られる症状で、中田英寿やジダンといった有名選手も発症しています。これといった有効な治療法がないそうで、またいつ再発するかという心配もありますが、箕輪選手にかける期待の大きい我々としては、再発しないことを祈るしかないですね。ちなみに釘宮症候群もこれといった治療法はありません。ソースはオレ。
 まぁそういった怪我のこともあったにしても、よく獲れましたよね。某所では発表がある前から札幌に移籍するというかなり信憑性の高い噂が飛び交っていましたけど、川崎も井川祐輔の完全移籍に成功したとはいえ、復帰した箕輪が出られないほどDFの層が厚いかと言えばそういうわけでもない、というよりは現在のレギュラー3バック(伊藤、寺田、井川)の他のDF登録の選手は大卒と高卒2人のルーキーしかおらず、どちらかといえばむしろ層は薄いほうと言えます。怪我明けとはいえレギュラーに怪我や出場停止があった場合は普通にスタメンを張るくらいの力を持っているであろう箕輪を川崎が出すとは思えませんでしたし、箕輪自身も優勝を狙える位置に付けているチームから、降格を免れない位置に付けているチームに来る気になってくれるとは思えませんでしたから、単純にこれは驚きました。「行くからには残留させる」と頼もしいコメントをしており、期待できそうです。もっとも、「頑張るけど残留は期待しないでネ☆」なんてコメントする人はいないでしょうけど。もしいたらオレが編集した釘宮祭のDVDを送りつけて釘宮症候群に感染してもらいます。

 ところでグロインペイン症候群って、少し前まで「恥骨結合炎」って言ってたような気がします。横文字で書かれるよりもこっちのほうがストレートに症状もわかりやすいと思うのですが、まぁ直球過ぎてアレなんで別の名前にしたのでしょうかね。関係ないですけど昔とんねるずのアルバムに「天使の恥骨」って歌が収録されていたのを思い出しました。当時のとんねるずは割とギリギリな歌を歌ってたような気がします。「銀河の交番」とかギリギリどころかけっこうアウトくさかったですね。だからなんだと言われても困るんですけど。

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