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2001年6月 アーカイブ

2001年6月 1日

どこまでも俺

 第10節が終わってからのリーグ中断期間にロングオフを取っていたチームは5月29日から練習を再開しているんですけど、道新スポォツによりますと、実はオフ中にブラジルへ帰国していた俺王様が未だに来日しておらず練習に姿を見せていないそうです。
 まぁ俺道を貫く俺王様のすることですし、札幌サポーターにとっては「エースが帰ってこない」なんてのはどっかで聞いたことのある話です。もちろんクラブ側も俺王様との契約書に「練習に遅れたら罰金」という条項を盛り込んでいたそうで、とっくに学習済なわけです。ただ、俺王様の場合は遅れることよりも肥えることのほうが心配なだけに、岡ちゃんもそっちのほうが気になっているのではないかと思います。森公美子のように肉に保険金をかけてはどうか。イヤそれじゃ逆だ。

 とりあえず中断前の磐田戦をケガで欠場し、ナメック星に里帰りしたビジュと同じく2日多くオフを取った上に意外とさびしんぼうの俺王様が、チームメイトに忘れられたかもしれないと思うあまりに「合コンでワザと1人だけ遅れてきてオノレをアッピールする作戦」に出たのではないかと思われます。やはり「ツカミはチビ太にとってのおでんより重要」がモットーの俺王様らしい行動ではありますが、得てしてそういう場合は、アッピールしたはいいけどベストなポジションは他のヤツに奪われているという事態になりがちなだけに、もしそういうことになったりしたら席替えタイムをふんだんに駆使するなどしてポジションを奪い取っていただきたいものです。

2001年6月 3日

アルゼンチンの先へ

 6月17日からアルゼンチンで行われるワールドユースのメンバーが正式に発表されまして、札幌からは山瀬と藤ヶ谷の2人が選ばれました。彼らにはとりあえずアルゼンチンで大暴れしてきてもらいたいところですけど、この前哨戦であるトゥーロン国際ユーストーナメントは結局1分2敗、3得点8失点で予選リーグ敗退という結果に終わっており、主力にケガが相次いでいるとはいえ、ワールドユースに向けて西村監督の采配に対し、逆転チャンスに代打・福王と同じくらいの不安を持ったファンも多いのではないかと思われます。

 とはいえ、前回の代表が準優勝という好成績を収めたがために、サポーターもつい同じレベルの期待を持ちがちですけど、この世代の代表に結果を求めるのは、ウォーズマンにベアークロー無しで暮らせと言っているようなモンです。もちろん実際に試合をする選手たちは先輩の記録以上のものを目指すでしょうけど、そもそも彼らくらいの年齢の日本人は、同世代の欧米人のいかにも「オレ達肉喰ってんだゼ?」といった感じのごつい身体とごついツラに比べれば、フィジカル的にもビジュアル的にも迫力負けしてしまうのは仕方のない話。彼らに対抗できるのは美輪明宏さんくらいのものでしょう。いろんな意味で。
 ただし、日本人は別にマリー・アントワネットに「パンがなければ米を食べればいいのよ」と言われたからコメ喰ってるわけではない、というのは断じて念を押しておきたいところです。というわけでオレといたしましては、U-20の選手たちには「なめんなよ、炭水化物を」というところを見せてもらえれば、たとえ予選リーグ敗退でもそれでいいかと思います。もちろんその場合は、西村監督の電話に「マドンナたちのララバイ」を熱唱しますけど。

2001年6月 5日

出現レストラン

 コンサドーレ札幌が世界に誇る、と言うよりはコンサドーレ札幌が唯一誇れる、と言うよりはMr.オクレがベンツを所有するようなごとき専用練習場・「宮の沢白い恋人サッカー場」に隣接するレストランが先日オープンしたことは札幌サポーターの皆さんは既にご存じだと思いますが、この「梟巣(おうるず)」という名前のレストランの目玉といいますか親父といいますか先祖の霊毛で編んだチャンチャンコというべきものは、提供されるメニューの名前が、札幌の選手の名前からつけられたものであると言うことです。
 関東在住のオレは当然のごとくまだ足を踏み入れたことはないのですけど、皆さんから掲示板に寄せられた情報に寄りますと、そのメニューのラインナップはどうやら「おおもりレタスサラダ」、「バンドイッチ」、「ののボ・ランチ」、「バンチャンのまん丸ロールキャベツ」といったものから、「先生のチャウダー」とか、なにやら「俺王」を冠したメニューまであるようです。
 で、ここで驚いたのは「俺王」とか「先生」というような、サポーター内で使われているに過ぎないような愛称が立派にメニュー名として平気で使われていることです。まぁこの名前はサポーターによる公募から選ばれたものもあるという話も聞いておりますが、そうなってくるとアルゼンチン代表のクラウディオ・ロペスや、昔巨人にいた河埜のような愛称は、札幌の選手にウカツにつけられませんね。

 ちなみに河埜の愛称は「カメさん」でした。「カメの煮っ転がし」とかになっちゃったら、そりゃ煮っ転がしてどうする! って感じですし、クラウディオ・ロペスに至っては「ピヨホ」、日本語でシラミですからね。既に喰いモンじゃねぇって。

2001年6月 7日

泣く子も黙る原色

 会社のすぐ近くに2002年ワールドカップのオフィシャルショップがあります。ショップ自体はもうずいぶん前に出来ていて、開店記念に井原を呼んでトークショーというオープニングからして前途多難なイベントをやっていたのは知っているんですけど、今更ながらこの間初めてちょっと寄ってみました。まぁ寄るだけ寄って何も買わないという素晴らしいばかりの冷やかしで。
 で、以前も少し触れたオフィシャルマスコット、確か「トム」「ヤム」「クン」という名前だったかと思いますが、実はオレは恥ずかしながらネタにしておきながらも今まで見たことがなかったんですけど、今回ショップに行って初めてそのマスコット、確か「サイン」「コサイン」「タカラジェンヌ」という名前だったかと思いますが、まぁそいつを初めて目の当たりにしたわけですよ。

 ドーレくんだけじゃなく、グランパスくん、ふろん太くん、マリノスケなどJリーグのマスコットキャラクターにはカワイイ系のものが多いように、日本のキャラクター文化というのはかなりのレベルにあります(エスパニョールのインコを見たことがある方ならわかっていただけるはず)。その日本サッカーの集大成ともいうべき2002年ワールドカップにおけるオフィシャルマスコットは、セサミストリートの出来損ないみたいなのが3体。どこの誰がデザインしてくれたんでしょう? あの、確か名前を「モショエショエ」とかいうマスコット。絶対夢に出てきそうで怖いです。

2001年6月12日

長かった一ヶ月

 相変わらず今回の代表にも誰一人としてかすりもしてない札幌のサポーターであるオレにとっては特にどうってことのないコンフェデレーションズカップもようやく終わりました。今週末からいよいよリーグ戦が再開します。決勝のフランス戦ですら途中から「どうぶつ奇想天外」のイヌ特集を見てたオレが待ちに待ったリーグ戦です。
 まぁそれにしても1ヶ月の中断というのもなかなか大変なものですね。あまりにもやることがないので、「普段着はジャージ」という自他共に認めるハイソサエティーなオレとしては、これを機会にシロガネーゼを目指してみたものの、練馬区民のためせいぜいネリマーナが関の山と知って断念していたりとかしていたんですが、その間にもスパーリング相手を求めて関東にやってきた札幌が、横浜FC相手に0-2で負けたかと思ったら、その横浜FCを三ツ沢で6-0で葬り去った川崎フロンターレを6-0で叩きのめしてみたりと、相変わらずいまいち評価に苦しむ奮闘ぶりを見せていたりはしていたみたいです。
 何はともあれようやくJリーグ再開です。代表もいいですけど、その代表の基盤となっているオラが国のプロリーグにレッツゴウですよ!

 は? ナビスコカップ? 知るかそんなもん。

2001年6月15日

私の彼は左利き

 道新スポォツのWebサイトでは、明日行われる名古屋戦に向けて並々ならぬ意気込みを見せる俺王様について触れられていました。ブラジル帰国でリフレッシュし、なおかつ鹿島戦で痛めた右膝も治ったということもあるのでしょうけど、対外試合中にアツくなることはあっても、練習の時からアツくなることは滅多にない、つうかいつもちんたらやっているという噂の俺王様にしては珍しい気合いの入り方。
 まぁ勝つ気満々なのは大変によろしいことではありますが、あまりにイレコミすぎてしまうのもまた心配です。明日の試合前のウォームアップで首を激しく上下に振ったり尋常じゃなく発汗していたり目が血走ったりクチから泡を吹いたりするだけならまだしも、思わず馬っけを出してしまって道警にしょっぴかれたりしないとも限りませんので。
 ところでこの記事で気になったのが以下の記述。「『3人が出られないのは痛いけど、絶対に勝ちたい。替わってはいる選手と力を合わせる』とチームのために徹することを約束。ホーム不敗神話を崩さないためにも、黄金の右足で、満員御礼の厚別を沸せる覚悟だ。」

 …やっぱ別人なんじゃねぇか?

2001年6月17日

ロスタイムショック

 まぁそんなワケで、16日に行われたホームの名古屋戦は、別人説も流れた(ここだけで)俺王様が左足で2ゴールを叩き込み単独得点王に躍り出るという活躍を見せて本人であることを証明したものの、またもや後半ロスタイムに失点をする引き分けとなってしまいました。
 スカパーの生中継を見ていたオレは磐田戦に続くロスタイムでの失点に怒り心頭だったのですが、たった1度の学習で何とかなるほど1部は甘くない、ということなのかもしれません。まぁあれこれ言ったところで結果が覆るわけでなし、とりあえずは貢いだあげくにハイそれまでよ、ということにならなければ、とりあえずはそれでいいかとも思います。
 しかしまぁ、森川の同点直前のピクシーへのタックルはマジでどうしようかと思いましたよ。キリンカップの国立のチケットと最終節の東京スタジアムのチケットを買ってるんで。

 とにかく名古屋戦の観戦記をアップしました。

2001年6月19日

緒戦完敗

 日本時間の本日未明に行われたワールドユースの日本対オーストラリア戦は、山瀬も藤ヶ谷もフル出場を果たしたり、実況の西岡さんと解説の原博実さんの現地からの声がダース・ベイダーみたいになって途中から東京の倉敷さんと羽中田さんに代わり、倉敷さんに山瀬や藤ヶ谷やコンサドーレ札幌の名前を言ってもらったりと試合内容以外ではオモロかったところも多かったのですが、試合自体は守備の乱れを突かれて0-2で敗戦という結果になりました。
 オレ的には「ああ、ここに今野がいたらもっとステキだったのになぁ」と思ったりもしたのですが、U-17で世界を制したメンバーが主力を構成するオーストラリアは日本から見れば格上の相手ですし、準優勝した前回大会ですら緒戦のカメルーン戦で負けている、と言うよりは日本代表は過去ワールドユースの緒戦に勝ったことがないんで、まぁこの結果も致し方ないかなとは思います。とはいえ、もう少しやり方的に何とかならなかったのかなというのも多少は感じます。
 まぁあまり監督批判とかはしたくないのですけど、スカパーの特別番組「西村ジャパンの挑戦」という番組を見ておりましたら、これは西村監督が第3節の広島対札幌戦で解説者を務めていた時も非常に気になったのですが、監督のしゃべりって一言の間に何回も「やはり」という言葉が入るんですよね。「そうですね、やっぱり~」というのがスポォツ選手のインタビューにおける枕詞とはいえ、いくら何でもちょっと多すぎてウンザリします。オレには「名監督はトークもうまい」という根拠もへったくれもない持論があるのですが、その理論から行くとややいまいち感の否めないところではあります。イヤ、その理論で行く必要はまるでないのですが。

 とか何とか言っておりますが、そんなことよりも何よりもオレが最も印象に残ったのが、同じ日に行われたイラン対フランス戦でハットトリックを決めたフランスのシスという選手がデリーバルデスそっくりのツラだったことでした。

2001年6月21日

世界の饗宴

 6月28日から行われるキリンカップサッカー、今年はユーゴスラビア代表とパラグアイ代表を招待して国立、大分ビッグアイ、札幌ドームの3会場で行われますが、この大会に臨むユーゴスラビアとパラグアイの来日メンバーが本日発表されました。
 案の定パラグアイはアクーニャもガマーラもベニテスもいないし、ユーゴスラビアもユーゴスラビアでミロシェビッチやスタンコビッチはおろかたまごっちまでいないという、どちらも国内組主体のメンバー。国立のユーゴスラビアvsパラグアイを見に行くオレとしては、なんかTHE ALL MAN BROTHERS BANDと間違えて大事MANブラザーズバンドのCDを買ってしまったような残念な気持ちではあるのですが、とりあえずは一番楽しみにしていたピクシーとチラベルが入っていたのでまぁよしとします。

 あ、ちなみに国外にいる選手だけではサッカーチームはもちろんカバディチームさえ作れない日本代表のメンバーも発表されています。

2001年6月25日

寄り切られた札幌

 23日に行われたJ1第12節、駒場スタジアムでの浦和レッズとのアウェイ戦は、遙かアルゼンチンの空の下で世界を相手にゴールを挙げたり、世界のシュートを受け続けた札幌の2人の若人に触発され、ることもなく、2-0で浦和の勝利。札幌はアウェイで5連敗という内弁慶っぷりを遺憾なく発揮しました。
 昨シーズン2度とも勝利を挙げた駒場で、浦和に素晴らしい内容のサッカーを披露される完膚無きまでの敗北でした。去年もああいうサッカーをされていたら、まったく逆の戦績になっていたんじゃないかと思います。やっぱり監督って重要なんですね
 で、さいたま市の仇をさいたま市で討つというわけではないのですが、そんなブロークン・マイハートをヒーリングしてボーリングしてアームストロングするために、翌日湘南サポーターの友人と共に、大宮公園サッカー場で行われた大宮vs湘南戦を見に行きました。入場する直前、何を思ったかいきなり自らの手で半券をちぎり取るという鬼神のような行動で周囲の人間の背筋を凍らせたウチのカミさんに仰天しつつも、我々は湘南側に陣取りました(※結局無事入れました。大宮のボランティアスタッフの皆さんご迷惑をおかけしました)。
 栗原と高田保則を欠き、前半途中でパラシオスが負傷で退くなど攻守の要を失った湘南を相手に、大宮は相も変わらずまったく動かない電柱(デリー)とよく動くフレッシュな電柱(バレー)という、文字通り2本柱の活躍により勝利。湘南は積極的な選手交代策も実らず首位獲りに失敗。
 結局、前日の浦和での敗戦を癒してもらうどころかさらに地獄の下層に落とされる結果となり、東京に戻る高崎線の窓から見えた「小松原学園」の看板も虚しい日曜日の夕方だったのでした。

 あと浦和戦観戦記

2001年6月27日

ドナドナ終了

 今週末に行われるキリンカップによりまたまた中断に入るJ1リーグですが、このキリンカップに出場する日本代表に、札幌サポーターが抱いていた淡い妄想期待も虚しく相も変わらず誰一人としてかすりもしなかった札幌ですが、ユース代表へのご奉公が最短期間で終了した山瀬と藤ヶ谷も復帰するため、次節の市原戦は久しぶりにベストの布陣で臨むことが出来そうです。
 ここのところあまり調子のよくない札幌ですが、ワールドユースで2得点を挙げたにもかかわらず、日本人よりもアンゴラ人のヒーローになったせいかやはりマスコミには採り上げられない山瀬が、世界の舞台でどれだけ成長してきたか楽しみに…なんてきれい事のもとに、地球の反対側から戻ってきたばかりの若い衆までこき使うことになるでしょう。

 ところで、先日の行われた浦和戦でニュースステーションにバッチリ映像を押さえられてしまい物議を醸している俺王様の「あの行為」について、俺王様の心の内をオレの電波アンテナがキャッチしましたよ!
 「ああ、アレか。ほら、日本には『唾を赤の伸二に呑ます』という諺があるんだろ? それを実践しただけだ。ヤツはオランダに行くらしいし、次はいつになるかわからないからな。」

 それを言うなら「爪の垢を煎じて呑ます」ですよ俺王様。全然違いますからメッコールでも飲んで落ち着いてくだされ。

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