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2003年2月 アーカイブ

2003年2月 2日

チーム始動

 来日が遅れていたジョアン・カルロス・トシキ監督とマルセロ・ポンテスフィジカルコーチも無事来日し、毎度のことながら漏れまくりのシーズン試合日程が発表され、いよいよ2003年が正式にスタートしたといった感じです。
 A契約枠25人フルに使い切り、テスト入団の川口を除くと合計32人で臨む今季の体制は、メンツだけ見れば満足行く補強と言っていいでしょう。ブラジル代表経験者のホベルッチとベットについては未知数ではあるものの、元J1得点王の俺王様を始め砂川、三原ら実績のある選手を獲得しただけでなく、ディドの穴もいろんな意味で埋めてあまりあるマザロッピコーチを招聘、そして何より日本での実績は充分のジョアン・カルロス監督。単純な戦力比較でも昨年に比べてチーム力が上がっていることは間違いないですし、J2のローカルチームということを考えれば申し分ないと思います。
 もちろんそれでシーズンを勝ち抜けるかは彼らがキッチリ噛み合うかどうかにかかってくるわけですが、少なくとも去年よりは「試合」になりそうで、今から楽しみです。つうか、変な人とか変な顔とかいっぱいという極めてオレ好みのチームになりそうです

 ところで、まだ若干約1名ほどどうなってるのかわからない人がマジでどうなっているのかを気にしている方もいらっしゃるかと思われます。その人とは言うまでもなく仮契約の発表があって背番号が発表されて以来音沙汰ないベットのことですが、現在のところやはりというかなんというか来日の予定が決まっていないらしいです。というのも、仮契約の直後にベットがいきなり先祖返りを起こし、アマゾンのジャングルに逃げ込んだのが理由です。
 現在HFCのスタッフが現地に赴き、ベットの好物と言われるガンプラをエサにするなど総力を挙げて捜索に当たっていますが、ガンプラはガンプラでもよりによってジュアッグなんぞを持っていってしまったらしく、その捕獲は難航している模様。HFC関係者は「意外と手強い。やはりビジュのようには行かない。つうか誰だジュアッグなんて用意したのは」と語っており、「アッグガイならよかったのに」と、どっちでも大して変わらないようなことを呟いていました。
 というわけで、HFCでは引き続き「『男坂』全巻」「東京凡太のブロマイド」「水木しげるの妖怪大百科」など男らしいアイテムを準備して捕獲作戦を展開する予定ですが、現時点でベットの来日のメドは立っていないようです。

 で、マジで来るの?

2003年2月 5日

田渕引退

 今年は例年になくいろいろとドタバタしたような気がしますが、ようや最後の一人であるベットが来日しました。つってもベットが来たかかと思えばお次は今野がU-20日本代表にドナドナされてしまったので、相変わらず全員揃ってないのですけど、その今野と新人選手を除くチームは昨日第1次キャンプ地であるオーストラリアへ旅立ちました。例年の豪州キャンプは1ヶ月近くに渡って行われますが、長期の海外合宿によるストレスを考慮し、今年は2週間程度となります。練習試合は行わず、フィジカルなど個人能力のアップに時間が割かれるようです。
 予定では豪州キャンプが終了後、鹿児島の指宿に場所を移し本格的なチーム練習に移行、場所未定ながら第3次キャンプも行われることになっています。今年の開幕ゲームは念願のホーム開催となりますが、試合はできても練習ができませんので、おそらく開幕後もキャンプ地を転々とする生活がしばらく続くと思われます。毎年のことですが難儀なチームであることよ。

 ところで、97年からコンサドーレに所属し、昨オフ構想外となった田渕龍二が現役を引退するそうです。新聞報道などでは複数のチームが興味を示していたそうですが話がまとまらなかったみたいですね。一昨年の契約更改で「また一年サッカーができるのがうれしい」と言っていたことを思い出します。
 田渕の印象に残るプレイといえばやはり2000年7月29日のホーム浦和戦での同点弾、そして2001年5月19日のアウェイ磐田戦での和波へのアシストでしょうか。いぶし銀なプレイスタイルに魅せられたサポーターも多く、ホーム厚別には「たぶち隊」と呼ばれる団体もいたほどです。心からお疲れ様といいたいですね。
 すでに田渕は徳島に帰っており、今後は奥様の実家のわかめ養殖業に携わるか、地元で就職するとのこと。それにしても奥様の実家がわかめ養殖業をやっているとは知りませんでした。地味ながらも札幌に長い間貢献してくれた田渕に敬意を表し、札幌サポーターの皆さんは今後わかめを食べる時には「おまえはどこのワカメじゃ?」と石立鉄男っぽく訊いてから食べるようにすること。

2003年2月 8日

ただいまキャンプ中

 チームは豪州キャンプ真っ最中。Jリーグの新人研修を終えた市村、岡田、尾崎の3人も合流し、U-20にドナドナ中の今野以外の全員が揃いました。
 ウソです。ウソつきました。いのっちはいません。インフルエンザで隔離中です。監督が替わり、GKコーチも替わって勝負の年となるであろう今年、『月刊コンサドーレ』のインタビューでもその決意を語っていたいのっちですが、しょぱなからコスモドリームのような見事な出遅れっぷりを見せてくれました。
 そのいのっちのいないGK陣ですが、新GKコーチのマザロッピコーチが早速厳しい練習を行っているそうです。前任のディドの練習も、その厳しさでサポーターからは「ディド塾」と呼ばれていましたが、マザロッピコーチの練習もそのディドを上回るほどのもののようです。ディドがディド塾ならマザロッピの場合は差詰め「マザ道場」といったところでしょうか。
 ところで、何しろ日本から遠く離れたオーストラリアで行われているキャンプですから、当然我々のもとに入ってくる情報には限りがあります。わずかな新聞記事程度でしかその内容をうかがい知ることは出来ませんが、その中でやはり道内メディアの注目を集めているのが俺王様。つうかむしろ毎日が俺特集です。J1得点王という申し分のない実績、しかもその結果を出したのは他でもないこの札幌だったわけですから、期待と注目を大いに集めるのもまぁ当然と言えば当然の話。
 つっても、気合い入れてダイエットしてきた割には、体脂肪チェックでは数値を計る以前の問題だったという「お約束」はもちろん、現在行われているフィジカルトレーニングでも「最後まで加減することなく全力で挑んだ(道新スポォツ)」と、冷静に考えれば至極当たり前のことですら記事になるというのも俺王様の持つキャラクターゆえでしょうか。

 それとリンク追加。lotさんの水戸ホーリーホック応援サイトの青の断片です。水戸と言えば深川が札幌ユースのコーチとして戻って来るみたいですね。やはり今年は「Return」の年のようです。

2003年2月10日

主将決定

 昨年は豪州キャンプに向かう飛行機の中で主将・副主将が決定したと記憶していますが、まぁああいう結果になりましたから、今年は慎重になったのかなかなか決まりませんでした。サッカーチームにおいてのみならずだいたいどの世界でも、集団というのはリーダー如何によってそのパフォーマンスは変わってきます。
 世間一般のリーダーの条件で実際例として思いつくのは、たとえば「司会能力が高い(SMAP)」「笑顔がなんか気になる(TOKIO)」「ダメだこりゃ(ドリフターズ)」なんかがリーダーの条件といったところですが、サッカーとはたぶん関係なさそうなのでおいておくとして、少し前にジョアンが主将の条件として挙げていたものは「リーダーシップがある」「技術的に高いものがある」「グループから一目置かれる存在」というものでした。
 というわけで、今年の主将は佐藤洋平に決まりました。まぁ予想の範囲で特に不満があるわけではない、っつーかこの辺りは外部からしかチームを見ることができないサポーターが口を出す問題ではないのですけど、予想通りすぎてシビレないですね。オレとしてはジョアンのあげた条件を満たすのは俺王様をおいて他にいないと思うのですが。やはりレンタル選手だからダメなのでしょうか。

 ところでオフィシャルサイトの選手とスタッフの写真が更新されましたが、なぜ揃いも揃って人相が悪いのでしょう? イヤ、もちろん生まれつきふてぶてしいツラの選手もいますけど、ほとんどの選手がなんか心底イヤそうなツラをしていますね。大丈夫なのでしょうか。

2003年2月13日

ブラジル人

 豪州キャンプも佳境に入っていますが、相変わらず入ってくる情報は断片的なモノばかりです。細かいネタは多いのですが、どれもこれもおつまみ程度のネタで、メインディッシュになりそうなおかずには乏しいといった感じ。まぁそれはそれで仕方がないのですがね。

 さて、スポォツニッポンによると、俺王様の開幕から3試合出場停止がJリーグから文書で正式通知されたということです。この出場停止は言うまでもなく昨年の「キックオク事件」に由来するもので、本来なら昨シーズンのうちに消化されているはずのものですが、この事件の直後に俺王様が横浜F・マリノスを解雇されてしまったために未消化のままとなっていました。まぁ出場停止はわかっていたことですし、Jリーグ側も例外の実績は作りたくないでしょうからこれは受け入れるしかないですね。
 で、当の俺王様本人は第4節新潟戦の俺開幕に合わせて相変わらず食事制限中だそうです。今年も腹空かして夜中にホテルを徘徊しているのでしょうか。

 その他のブラジル人絡みでは、新助っ人のホベルッチがいいみたいです。やはりセレソンの10番というのはいくら何でも一山千円の選手がつけていい番号ではありませんから、短期間とはいえそれだけの実力があるのでしょう。同じくスポニチによると、彼のフリーキックについてこう書いてありました。「左45度、距離25mからのキックはGK藤ヶ谷が一歩も動けず、バー直撃」

 イヤ、入ってねぇし

 そういえば、昨年いいとこなしでとっとと帰国したロブソンもキャンプの時は「鋭いフリーキックを放っていた」なんて書かれていましたね。ふたを開けてみればフリーキックはおろかPKすら蹴らせてもらえなかったわけですが。
 いずれにしても実際見てみないことにはわかりませんので、とりあえず新聞記事は話半分くらいに聞いておいたほうがいいかもしれませんね。贅沢は言いませんからハンドだけはするな

2003年2月14日

君が望む夕飯

 豪州キャンプもあと残り2日となりました。今年は選手のストレスなどを考慮して(という名目で)例年の半分程度となる2週間の日程となっているものの、それでも慣れない異国の地では決して短い時間ではありません。そんな海外生活で一番困るのがやはり食事。つってもオレは別にそんなに長いこと海外にいた経験がない、っつーか海外旅行の経験すらほとんどないのであんまりよくわからないのですけどね。あんまり旅行好きじゃないですし。その数少ない外国経験も崩壊一週間前のソ連とかだし、新婚旅行だってやれイタリアに行ったとかやれバリ島に行ったという友人たちを尻目に断固として伊豆で温泉コースでしたし。
 話が逸れてしまいましたが、そんなわけで札幌の選手たちもそろそろ日本食が恋しくなる頃。しかし、昨年から口蹄疫の影響で食料品の持ち込みが厳しく制限されてしまい、レトルトカレーなどの人気メニューが食べられなくなり、昨年は「カレーが食べたい」という選手の声に応えて石水副社長自らが現地でカレー配給を行うというエピソードもありました。
 この辺りのことは当時このサイトでもちょっとだけ紹介しましたが、この時「ガッツポーズするほどカレー好き」と憚ることなく言い切った男がいました。阿部哲也です。後に契約更改の場で「寮でおなかいっぱい食べられるようにしてほしい」と、金銭欲より食欲を優先することになる男を一躍オモシロ人間として知らしめたのがこの「カレーでガッツポーズ発言」でしたが、このオモシロ人間は今年も衰えることはないようです。道新スポォツに日本食に飢えている阿部のコメントが載っておりました。

 曰く、「しょうがないからミートソースをゴハンにかけて食べてます

 そこまでしてもご飯が食べたいのでしょうけど、根本的に何かを間違えているような気がするのですが。何と言いますか、母のぬくもりが恋しくて父に女装をしてもらうくらいの間違え方です。
 なぜだか、みそおにぎりで過ごした貧乏時代の日々を思い出しましたが、その時の周りの選手の反応がどうだったのかも非常に気になってしまいました

 リンク追加。OSCCNNコンサ隊のページ

2003年2月17日

豪州キャンプ終了

 約2週間弱の日程で行われた豪州キャンプも16日で終了し、選手たちは本日いったん帰国。2日間のオフでリフレッシュした後、19日から再び鹿児島は指宿で第2次キャンプとなります。
 豪州ではフィジカルトレーニングが中心でしたし、実際に見たわけではないのでチームの仕上がり具合についてはわからないのですが、現地まではるばる見に行ったゴール裏メイトの話を聞いていると、とにかく確実に言えるのは俺王様の俺フリーキックは健在とのこと。昨年横浜では中村俊輔という稀代の左足フリーキッカーがいたこともあってあまり蹴らせてもらえませんでしたが、通常練習時間外に行われた俺練習では2年前と何ら変わらない鋭いキックをビシバシ決めていたそうです。コーチやトレーナー陣を壁に入れていたそうですが、日頃の恨みを晴らすためでしょうか?
 さて16日付の道新スポォツ紙面はその俺王様特集だったそうです。オレは読めてないのですが、掲示板にてあきっくさんから頂いた情報によると、なんでも今季は国外からもオファーがあったにもかかわらず、「みそラーメンをこよなく愛するほど親日家になったウィルが出直しの場に選んだのは札幌だった」そうな。
 もちろん、札幌が日本に誇るラーメンも重要なファクターの一つではあるでしょうけど、決め手となったのはやはり俺王様を崇める我々臣民の存在が大きかった、というのもあるかもしれません。こう書くと手前味噌が過ぎるような気もしないでもないですが、昨季はJ1得点王とはいえ、スター選手の多い横浜F・マリノスの中では俺王様は決してサポーターの注目を集める選手ではなかった、というよりはむしろほとんどどうでもいいような存在だったらしく、昨年2chの俺王様スレッドでは練習後にファンが群がる選手たちの周りで俺王様がサインもらって欲しそうにその辺をうろうろしていたという情報も書かれていたくらいですし。
 ところで北海道が産んだもう一人の俺様・"King of Sapporo"新居辰基が今季の選手会役員の副会長になったとか。ある意味去年の「副主将・ビジュ」より斬新なネタですね。まぁよく考えてみれば今年2年目といっても実は今いる選手の中では洋平、藤ヶ谷と並んでコンサドーレ歴が一番長いですからねぇ。

2003年2月19日

第5代ジャージスト?

 監督に必要なものはなんでしょうか。まずしっかりした理論を持ち、それを選手に納得させ、実行させるだけの実績あるいは説得力を持ち、もちろん人の上に立つべき器であることあたりが監督に望まれる資質でしょうか。もちろんそれさえ満たしてさえいれば常に成功を収められるとは限りませんが、世界的に見ても「名将」と呼ばれる監督はほぼ例外なく前述の条件を満たしていると言えるでしょう。
 しかし、コンサドーレ札幌の監督になるためにはそれとは全く関係ない資質が必要となってきます。そう、それはジャージです。ご存じの通り2000年の「ジャージスト・オブ・ザ・イヤー」に輝いた(選定:オレ)岡田武史元監督以来、3人の監督が私の上を通り過ぎていきましたが、そのいずれもがジャージでした。オレも「着やすい、動きやすい」というジャージこそ正当なノーマルスーツであると主張したいわけですが、鹿島でも名古屋でもセレッソでも一貫してスーツで指揮を執り続けたジョアンがジャージを着てくれるとは思えませんでした。
 ところが、本日のスポォツ報知の道内面で、2001年からの練習着スポンサーである札幌セミナーの奥山義則社長と会談したジョアン・カルロス・トシキ監督が、「チームの意向なら喜んで」とジャージ姿で采配することを明言したそうです。確かに札幌セミナーさんにとっては、ピッチ上の選手の次に中継カメラに映りやすい監督が自社のロゴの入ったジャージを着てくれたほうが宣伝効果は高くなってありがたいのは当然とはいえ、てっきりジョアンはスーツを着るモンだと勝手に思っていたオレはそのあっさりさ加減に拍子抜けしてしまいました。世の中ゼニを出しているやつが一番強いという見本ですね。

 というわけで、3月15日の札幌ドームでは、Jリーグ屈指の監督であるジョアン・カルロス・トシキといえどもやっぱりただのオヤジだったという実感を覚えることでしょう。采配よりもその着こなしに注目です。

2003年2月22日

練習試合第1弾

 現在鹿児島の指宿で第2次キャンプを張っているコンサドーレ札幌は、本格的なシステム構築に着手しています。ここからジョアンはスターティングメンバーの見極めを行っていくと思われます。中でも一番気になるのがやはり2トップがどういうメンツになるか。豪州キャンプを見る限りでは、当面のジョアンの考えは俺王様と堀井岳也の2トップとなっていたようですが、ご存じの通り俺王様は3試合の出場停止。開幕から第3節までは俺王様抜きで戦わなければなりません。その穴埋めとしてジョアンが想定しているのが、"King of Sapporo"新居辰基です。スピードタイプの岳也との兼ね合いを考えれば、タイプ的には万能型の相川進也が適役なのでしょうけど、現在アイカーはケガ中で別メニューということで、新居がAチーム(主力組)のメンバーに選ばれたようです。雰囲気的には2000年のエメルソンと播戸竜二の2トップのような感じでしょうか。
 で、本日は練習試合第1弾としてBチームが九州リーグの京セラ川内と、Aチームが同じく九州リーグのヴォルカ鹿児島と練習試合を行いました。Bチームは30分×2本で2-0で勝利、Aチームは分一本勝負で1-0で勝利したそうです。得点者はBが俺王様とゴリ、Aは新居。Aチームのメンバーは砂川、ホベルっち、西田が風邪や怪我で出場していなかったそうで、代わりにそれぞれコマネチ、中尾、和波が入っていたようですが、地域リーグ相手の試合というのを考えればスコア的にも手放しで喜べる結果ではないですし、実際内容的にもあまり良くなかったようですが、それでも得点者だけを見れば獲るべき人が獲ったというか、結局は点を獲るのはシュートを打つヤツなんですね。
 特に与えられたチャンスにキッチリ結果で応えた新居はさすがというべきもので、このまま行けば開幕スタメンはほぼ確実でしょう。その新居について、新助っ人のベットは「ロナウドに似ている(スポニチ)」とコメントしています。ワールドクラスのストライカーであるロナウドに似ているというのはさすがにホメすぎのような気もしますが、数多の名ストライカーを産んだサッカー王国ブラジル出身の選手には、日本では押さえつけられがちな新居のような選手でもその良さはよくわかる模様です。スポニチにはさらに「欲しいボールを尋ねながら緩急、飛距離を新居モードに変えて」いたそうで、実際この練習試合の新居の得点もそのベットのパスから生まれたそうです。将来のコンサドーレを担うストライカーは、元セレソンですら手下として従えることに成功したみたいです。
 練習試合の内容は良くなかったというのは不安材料ではありますが、逆にマツダチャンピオンズカップで磐田・鹿島というJリーグの強豪と互角以上に渡り合い、「これまで一度も日本のクラブチームに負けたことがない」という韓国Kリーグの城南一和を、練習試合で3-0で一蹴しておきながらその年ぶっちぎりで降格したチームもありますから、まぁ練習試合は結果も内容もどうでもいいです。

2003年2月25日

とりあえず圧勝

 前回の練習試合の新居の得点は、ベットからのパスではなくこぼれ球を押し込んでの得点だそうです。要はもっとも新居らしいゴールだったわけですね。つうわけで本日は練習試合第2弾として鹿屋体育大学との試合が行われ、オフィシャルサイトによると50分×2本セットの1本目が4-0、2本目が3-0で勝利。どうやら1本目がAチーム、2本目がBチームといった感じだったようで、新居も前半に1点獲っていますが、ファインゴールでないことだけは確かだと思います。いわゆるへのつっぱりはいらないゴールですね。
 その他の得点者は前半は岳也2、コマネチ、後半に俺王様、ゴリ、三原。相手が大学生とはいえFW陣は好調のようです。また、どうやら前回の試合では欠場していた砂川とホベルっちが復帰した模様。砂川は風邪が癒え、ホベも元気に復活。つってもそのケガの箇所が「左足付け根痛(スポニチ)」だったり「脇腹痛(日刊)」だったり、はたまた「左太もも痛(道スポ)」だったりと新聞によって全然違うのはなぜでしょうか。まぁどうでもいいのかもしれませんね。ホベの場合パーツの変更が可能ですから。

 さて、本日サテライトリーグの日程が正式に発表されました。今季から参加するサテライトにはユース所属の選手も多く登録されるようで、3月の御殿場合宿に帯同する予定の鈴木智樹の他、石郷、吉田、斎藤といった選手も入ってくるでしょう。こちらもまた非常に楽しみです。つうかむしろ萌えまくりです。

2003年2月27日

ゴンザレスリターンズ

 ユース代表のブルキナファソ遠征にドナドナされていた今野泰幸がようやくチームに合流しました。代表合宿と遠征で豪州キャンプにもまるまる不参加となってしまい、自チームの練習にまともに参加するのはほぼ初めてと言っていいような状況です。そうかと思えば来週からまた合宿があり、そして来月末からはいよいよ本番のワールドユースと落ち着くヒマもありません。
 チームスタッフからも「協会所属」とからかわれるほどチームを空けることが多い今野。ジョアンの心中たるや都会で一人暮らしをする息子を持つ母親の気分でしょうか。もっとも、うちの母ちゃんならたまに帰省した時には喜んでもてなしてくれますが、今野の場合いたらいたで散々こき使われるだけなんですけどね。
 そんな調子で今年は多忙な今野くん、今年はいいとしてもやはり来年が気になります。イヤ、オレが今からそんな先の話したってどうにもならないのですけど、これまでコンサドーレ所属で代表、あるいはフル代表候補に入った選手って、GKの葉柄と藤を除けばみんな2年以内に札幌から出て行っているんですよね。古くは吉原宏太(1999年五輪代表選出→シーズンオフにガンバへ移籍)に始まり、播戸竜二(2001年代表候補合宿に招集→シーズンオフに神戸へ移籍)、山瀬功治(2000年からユース代表→昨オフ浦和へ移籍)といった感じで。まぁバンバンは期限付き移籍でしたけど、現に今野本人も昨オフは相当に悩んだようですし、やはりいったんレベルの高いところを知ってしまうと現状では物足りなくなってしまうものなんでしょうかね。ドラゴンボールみたいなモンですか。
 まぁ彼のプロサッカー選手としての人生は彼自身が決めるものだとはいえ、いち札幌サポーターとしては彼の大好物と言われるサーモンのようにちゃんと育った川に戻ってくるのかが大いに気になります。つうかちゃんと帰って来いよ。テレサ・テンのアルバムあげるから。それだけでは不満ならビッグワンガムのガム部分もつけてあげるから。

 ところでテスト生として練習に参加していた前東京ヴェルディ1969の川口卓哉が正式契約となったとクラブから発表がありました。やはり札幌出身の選手だけあって、クラブが彼に課したもっとも過酷な入団テスト項目である「ぽんぽこサンバをフルコーラス歌う」も難なくクリアしたようですね。頑張って欲しいものです。

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