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2001年4月 アーカイブ

2001年4月 3日

初黒星

 開幕3連勝を狙って広島に乗り込んだコンサドーレ札幌。これまでtoto購入者をいじめ続けた結果、本格スタート後初めて支持率で相手チームを上回ったのですが、2連敗中の広島を相手にホームでは滅法強い久保の一撃によってあえなく撃沈、またしてもtoto購入者を裏切る結果になりました。
 俺王様も厳しいマークにあってしまい全くボールが来ないという、いつもの俺王様ならイライラしてカードゲットという展開だったにも関わらず、俺ゴールも俺カードゲットもなし。レンタル移籍だけに文字通り借りてきた俺王のようにおとなしかったとか。

 その代わり川崎の俺王子が今季初退場。今季甲府に入団した3人が「量産型エメルソン」と言われていたために、赤い紙によってシャア専用であることを示したのではないかと言われています。

 そんなわけで広島戦の観戦記をアップしました。

2001年4月 5日

踏んだり蹴ったり

 4月4日にナビスコカップ1回戦の1stレグが行われ、札幌は大分でアウェイの試合を戦いました。俺王様と瀬戸の古巣(というよりは借り元)である大分との対戦と言うことで、世間的に注目を浴びていたわけではなかったこの対戦、実は札幌は大分市営陸上競技場での大分との試合で1点も取ったことがないのですが、試合は2-0でやっぱり大分の勝ち。
 試合を見てないので何とも言えないのですが、先週広島に負け、今週ウィークデーにJ最北端のホームタウンからJ最南端のホームタウンまで遠征したうえやっぱり負け、ビジュが赤紙を喰らい、おまけにアウミールまで壊され(いつぞやの厚別のお返しか!?)、懐かしの大分の地を踏んで先祖帰りを起こした俺王様も黄紙をゲットという、まさに踏んだり蹴ったり泣いて笑ってケンカして状態。ふられ気分でロックンロールな心境ですよ。

 それにしても、どこのテレビでも中継がないってのもイライラするもんですね。おまけにコンサドーレのオフィシャルサイトの速報で、後半に優津樹がゴールしたという間違いにぬか喜びさせられた札幌サポーターも多数。4月1日から情報公開法が施行されたとはいえ、ないはずの情報まで公開されるとは思いませんでした。

2001年4月 6日

ブラジルトリオ欠場?

 大会は異なるもののリーグ広島戦、ナビスコカップ大分戦と連続で落とし、いよいよ本領を発揮してきたコンサドーレ札幌は、明日7日に室蘭で道内開幕戦となる東京ヴェルディ1969戦を迎えます。この試合にビジュが出場停止、アウミールがケガで欠場というのは前回も触れましたが、頼みの俺王様もこの大分戦で足を踏まれて腫れが引かないそうで出場は微妙という話です。まぁ俺王様は明日出場するという噂も出ているようですから、いずれにしてもそれほど深刻な状態ではないようですが。
 というわけで気になるミールさんのケガの状態ですが、靱帯損傷で全治2週間という話。昨季チームで唯一全試合出場を果たした鉄人のまさかのケガに対して、靱帯があったことに驚いたサポーターも多いとか。また、ビジュはどうやら2試合の出場停止になった模様。現場を見てないのでわからないんですが、いきなり2試合も停止喰らうなんて何をやらかしたんでしょうか。ピッチで魔貫光殺砲を繰り出したのかも。

2001年4月 9日

俺伝説第2幕~そして蝦夷地へ~

 足のケガにより出場も危ぶまれた俺王様ですが、どうやら修理部品が間に合ったらしく、道内開幕戦となる対やすたろう王国戦にて本道のサポーターの皆さんの前に元気にそのお姿を現しました。しかも21世紀の北海道初ゴールとなるメモリアル俺ゴールに加え、俺カードゲットはなかったものの俺フリーキックも惜しいのと全然惜しくないのを披露するなど大サービス。
 さらにバンバンも2点目をゲットして今季2回目の2トップ揃い踏み、アウミールとビジュの代わりとして初スタメンとなった和波、今野の2人も持ち味を存分に発揮してやすたろう王国を2-0で撃破し、北海道開幕戦を勝利で飾ったのでした。
 ところで、開幕戦と高知での柏戦で掲げた俺王ゲート旗、何せ「はじめてのはたづくり」だったもので作りが甘かったらしく、高知での雨に濡れてプリント部分が濡れてはがれてしまいました。何とか修復を試みたのですがむしろとどめを刺す結果と相成ってしまいました。「これは2戦にしてお蔵入りか?」などと思っていたのですが、そのゲート旗が壊れたあとの広島戦、大分戦と俺王様が沈黙してしまったため、「これはあのゲート旗が壊れたために違いない」と勝手な妄想を膨らませ再作成に着手。金曜日に夜なべをして完成させたのですが、その途端俺王様復活の一発で勝利。
 イヤ、だからなんだといわれても困るんですけどね。100%片思いってことで。そんなハイスクールララバイ。

 というわけで、東京ヴェルディ1969戦の観戦記です。

2001年4月10日

嗚呼、ドナドナ

 6月のワールドユースへのスクーリングを兼ねた南米遠征に臨むU-20日本代表のメンバーが本日発表されました。山瀬、藤ヶ谷はもちろん、先日のやすたろう王国戦でフル出場を果たしアシストも決めたゴンザレスも無事メンバーリストに名前を連ねており、他のチームの選手たちもアジアユースを戦ったメンバーや大分の野人・松橋らも順当に選出されています。
 今回選出されたメンバーは、アルゼンチンU-20代表、リーベルプレートU-20チーム、パラグアイU-20代表、コルドバU-20選抜チームとアウェイの地で戦うという貴重な経験を積むために、4月14日にアルゼンチンへ旅立つそうです。

 …14日?

 オレの記憶が確かならば、今回の遠征、当初は15日からだったはず。しかも14日は神戸戦があったような…。つうことはなんですか? ビジュが出場停止中でなおかつアウミールもケガ中というこのご時世に、山瀬も今野も次節の神戸戦はドナドナってことですかい?
 そりゃまぁ、代表が「リーグで活躍している選手」で構成されるのは当たり前の話ではありますけど、逆に言えば「若手がバリバリに試合に出ているチーム=若い衆まで動員しないと困るチーム」ってことにもなるわけで。残留のために勝点を稼げるうちに稼いでおきたい札幌はもちろん、次節阿波ダンサーと上村が出場停止の広島は一気に3人を、どん底のチーム状態にあえぐ横浜FMは石川と田原を、正GKをケガで欠いている清水はその穴を埋める以上の働きを見せていた黒河を、選手のやりくりに苦労している市原は佐藤寿人とケガが治ったばかりの阿部までドナドナされるという、いくら何でもあまりにも残酷な仕打ち。オノレ、連邦の犬め…。

 今まで札幌は代表とはまるで無縁だったおかげで他人事といいますかいまいちピンと来なかったんですけど、こうなると代表選出というのも考えモノですね。収穫の大半を年貢に取られる農民の心境といいますか、あるいは賽の河原で石積むごとに鬼に壊される子供の心境といいますか、はたまた楽しみに残しといたおやつを母ちゃんに喰われたような心境でございますよ。

2001年4月15日

勝点1なら儲けモン

 14日に行われたヴィッセル神戸vsコンサドーレ札幌の試合は、98年ワールドカップフランス大会の時に日本代表監督だった岡ちゃんが大会直前の欧州合宿終了後に登録メンバーからカズを外した「因縁」の対決であるということで、キーちゃんと市川をまるで忘れているマスコミが無駄に盛り上がっていましたが、そんな盛り上がりとは裏腹に試合自体はスコアレスドローという全く盛り上がらない結果に終わりました。
 まぁ札幌的には、アウェイで24本ものシュートを打たれての引き分けならばなんとかモトだけは取ったという感じですね。

 しかし神戸まで日帰りで行くことにした地理オンチのオレは、15:00過ぎに神戸入りしてまっすぐユニバー記念競技場に向かった上、17:00キックオフの試合が延長まで行ったために、おみやげを買うヒマすらありませんでした。といいますか、神戸というコジャレた街に行きながら山登りに行っただけに終わった(ユニバー記念競技場は山にある)というのも考えてみればアホな話です。

 そんな神戸戦の観戦記も出来ました。

2001年4月17日

Road to 羊ヶ丘

 先日地元の本屋に行ったら、小学校5~6年生くらいの少年2人がマンガを物色していました。マンガの棚の前でアレコレ探していたようなんですが、そのうちの1人が平積みにされていたあるマンガを発見して一言。

 「お、なんだコレ? ヒカルのはか?」

 イヤ、確かに霊は出てきますけどね。その字は「墓」じゃなくて「碁」なんだよ。さわやか囲碁マンガを一言で恐怖マンガに変貌させた彼の未来に明るいものを感じました。つうか、囲碁より国語を勉強しましょう。

 などとサッカーに全く関係ない出だしで始まりましたが、明日はナビスコカップ1回戦の2ndレグ、ホーム(室蘭)での大分戦です。室蘭には照明施設がなくこの時期はまだ厚別でゲームが出来ないので、ド平日の13時キックオフというのも仕方ないとは思いますが、大分相手に3点差以上つけて勝たなければ1回戦敗退となってしまうという状況で、相手選手にプレッシャーをかけられるほど観客動員が望めない時間帯なのはやはりツラい。
 まずは残留優先のチーム状況を考えれば是が非でも勝つ必要はないのですが、勝てば2回戦のホームゲームが札幌ドームとなり、これはドームのこけら落としとなるそうです。まぁ使用料が(厚別などに比べて)べらぼうに高いドームですから「コンサドーレによるこけら落とし」にこだわる必要もないといわれればその通りなんですけどね。こけら落としが「今いくよくるよドームツアー」とかだったらちょっとイヤですけど。
 とはいえ、アウミールがまだ右膝の調子が思わしくなく出場は難しい上に今藤山がドナドナ中というのは、クリープの入ってないコーヒーを通り越して、パンツを見せないスクールメイツのようなモンです。ビジュがようやくナメック星から帰ってくるものの、またこの間みたいにピッチの上で口からタマゴを産んで紙をもらってしまったら大変です。そのタマゴから産まれた子供は「ビジュニア」と名付けましょう。

2001年4月19日

Road to 羊ヶ丘(通行止)

 というわけでございまして、当然のことながら試合は見れなかった本日行われたナビスコカップ1回戦2ndレグは、試合自体は俺王様がPKを含む2得点を上げるなどそれなりに押し気味の試合だったものの、2戦トータルスコア2-3であえなく敗退と相成りました。このようなせっぱ詰まった状況に置かれてなお「贅沢は敵だ!」として3点以上は取らない身の丈サッカーの真髄を見せつけた札幌と、横浜FCに葬り去られたやすたろう王国以外は全て1部チームが勝ち上がるという全12試合が順当な結果に収まっています。
 とはいえ、俺王様の2点目のスーパーボレーにはビックリしましたね。イヤ、シュートももちろんですが、何よりも俺王様が跳べたことに対して。クララが立ったときよりも驚きましたよ。そのすごさたるや、他の人気チームをさしおいて「ニュースステーション」で採り上げられたわずか2試合のうちの1試合に選ばれたほどです。ちなみに、採り上げられたもう1つの試合はやすたろう王国vs横浜FC。

 …あ、単に2部チームが1部チームを破ったからなのね。

2001年4月23日

夜明け前

 来週に日本代表がスペイン戦のため欧州へ遠征、またU-20代表がスクーリングのため南米への遠征ということで、先週末はJ1リーグはありませんでした。この「代表休み」が終わると、札幌はいよいよ正念場の月を迎えます。29日の函館でのガンバ戦を皮切りに、その4日後に日本平での清水戦、さらにその3日後では丸亀での東京戦、一週開いていよいよ厚別開幕戦に鹿島を迎え、その翌週にはジュビロスタジアムに乗り込んでの磐田戦、そのまた翌週にはオレが29歳になってしまうという、難敵が続く地獄月間。
 「他のチームの戦術が固まりきらないうちに、相手が札幌をナメてかかって来てくれるうちに、暑くなってヘバる前に」ダッシュをかまして勝点を稼ぐという、俗に言う「イカンガー作戦」の札幌としては、この5月が勝負です。そんな札幌は、スペインにてトルシエにお前は女かとか俺は男だとか静岡に帰れとか釜山港に帰れとか帰れソレントへとか言われているフル代表の面々や、南米でボコボコにやられているユース代表(含む今藤山)の面々などはまるで他人事と言った感じで、来るべき戦いに向けて鋭気を養うために、選手の家族も含めた焼き肉パーティーでリラックスモード。札幌は春先のキャンプなどでもよく焼き肉をするため、初めて札幌に来た選手から「ずいぶん焼き肉の多いチームですね」と言われたこともあるそうです。
 まぁ、ことあるごとに肉焼いてみるのは北海道では割と当たり前の話だったりするんですけど、チームの和を高める手段としてはどうなんでしょう。コミュニケーションのつもりが俺王様と小林で壮絶な肉争奪バトル! とかになったらかなりオモシロなんですけど。

2001年4月25日

俺王様雑誌デビュー

 昨日の朝駅までの道を歩いていたら、十字路の右手の道からガングロ・ショッキングピンクのアイシャドウ・歩き電話という、図鑑から抜け出てきたようなステレオタイプのヤマンバギャルと遭遇。ああ、今時こんな見事なヤマンバ、メッカだった渋谷や池袋でもそんなに見かけなくなったよなぁ、などと思いつつも目を合わせないようにしていると、そのヤマンバさんは何を思ったか、電話しながらこちらのほうに寄って来るじゃないですか。

 ヤバい、喰われる!

 とっさに逃げる準備を整えたオレに向かってそのヤマンバさんは、懐からキレイに研いだ出刃包丁を取り出した…なんてことはなく、駅への道を聞いてきただけでした(電話しながら)。それにしても怖かったです。

 とまぁ、そんなわけでまたしてもサッカーとはまるで関係ない話題を長々としてしまいましたが、今週号のサッカーマガジンには、待ってましたの俺王様インタビューが載っています。内容としては、全体的に我々が期待していたような「俺節」はさほど見られず、あまつさえ「自分が点を取らなくても、誰かが取って勝ってくれればうれしい」などという心にもないことまでしゃべっている始末。心からそう思ってる人が現在得点王のトップを走ってたりはしないと思いますが、まぁ川崎へ移籍した直後のマガジンのインタビューで俺王子・エメも「重要なのはお金じゃない」と言いきってましたしね。ブラジル人ウソつかない。
 ちなみに、今週号のサッカーダイジェストにはそのエメのインタビューが載っていますが、こちらも申し合わせたように「自分が点を取らなくてもいい。チームが勝つことが大事」と言っています。うーん、素晴らしきフォアザチームの精神。

 誰ですか? エメによけいなこと教え込んだのは。

2001年4月28日

テレビに映せない川崎劇場

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2001年4月30日

た、単独2位?

 29日に行われた第6節は、相変わらず何で勝ってるのか全然わからない札幌がガンバ大阪をバンバンのナイスボレーで下しました。前節2位の名古屋が代表疲れで主力がヘロヘロなはずの磐田に血祭りに上げられ、3位清水がセレッソに足下をすくわれたために、ついうっかり単独2位に浮上してしまいました。

 さて、余計な欲を出さないように極力その事実から目を背けます。2002年ワールドカップのマスコットキャラクター3体の名前が決定したようですね。それぞれ「アトー(ATO)」、「ニック(NIK)」、「キャズ(KAZ)」となったそうです。
 3体とも一見して目に涙が溢れてくる名前ですが、これに対してまた韓国側からクレームがあったみたいです。ニッカンスポォツに載っていたのですが、韓国の新聞「朝鮮日報」が「ATO」は鉄腕アトムを、「KAZ」は三浦知良を連想させる極めて日本色の強い名前である、と書いていたそうです。KAZはまぁまだわかるとしても、「アトーはアトムを連想させる」つうのはさすがにムリがあるんじゃないかと思いますけどね。
 一般公募で、しかも人気投票で決まった名前にまで文句をつけられるなら、どんな名前にしても何かしら文句を言われそうな気もしてきますね。いっそのこと「チョー」、「ヨン」、「ピル」にしてしまえば文句のつけようはないと思います。

 というわけでガンバ大阪戦の観戦記です。

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