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2009年2月 アーカイブ

2009年2月 3日

ひとまず初勝利

 日々行われる罰ゲームが思った通りに「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」になっているグアムキャンプもあと1週間を残すのみとなった2月2日、コンサドーレ札幌はJ1大宮アルディージャとのテストマッチを行いました。1月末に行われる予定だった柏レイソルとのテストマッチが先方の都合でキャンセルとなったため、この大宮戦が今季初の対外試合となります。30分×3本の変則形式で行われたこの試合は、2本目にFW横野純貴が決めたゴールを守りきり1-0で勝利となりました。1月21日からキャンプに入っている札幌に対し、大宮は1週間遅れの28日からキャンプインしており、現時点での仕上がり具合に差があるとはいえ、こちらも別メニューだったダニルソンや趙晟桓、まだ合流していないクライトンらが欠場という状態で90分やって無失点というのは悪くはない結果だと思いますし、ノブリン自身「守備の練習しかやっておらん」(北海道新聞)という中で、その守備で「やりたいことはできていた」と手応えを感じているみたいです。

 さてこの試合、公式サイトに載っているメンバーを見ると、けっこう本来とは別のポジションでの起用も目立ちます。先代の三浦監督も西嶋や大伍など複数ポジションをこなせる選手を重用してきましたし、先々代のヤンツーも本来真ん中の選手をサイドに置く傾向が強かったですから、ポジションの変更自体はノブリンが初めてではありませんが、その中でも目新しいと言えば藤田征也をサイドバックで起用していることでしょうか。
 チームトップクラスの快足と、その快足をすっ飛ばしてトップスピードのままクロスを上げられる征也には、サポーターの間では以前からサイドバックに向いているのではないかという声もありました。しかし、征也が二種登録での出場を果たした時は監督がヤンツーで、この頃はまだ3バックを採用だったのでサイドバックというポジションがなく、また札幌で初めて4バックを成功させた三浦体制下でも、サイドバックでも対地・対空守備能力を優先させる方針のためか、征也は原則右サイドハーフ固定でサイドバックで起用されることはついになく、征也サイドバックはサポーターの妄想に過ぎませんでした。その妄想がもしかしたら現実になるかも、という感じですが、フィールドプレイヤーの数が23人しかいない中で怪我や出場停止の影響も考えなければいけないですし、J2はベンチ入りの人数が5人に減り、戦略的な駒の数そのものが減ってしまいますから、あらゆる事態に対処する必要のある指揮官としてはとっては切実な問題なんでしょうけどね。ノブリンが大分時代にあったような、怪我人続出で前半で交代枠を使い切ってしまったとかそういう状況になったらもうどうしようもないですけど。ちなみにその時の相手は他でもないコンサドーレ札幌でした。

 その他に特筆するべきは、3本目では中山元気がセンターバックで起用されているというところでしょうか。去年はFWではなくサイドMFでの起用もありましたがけど、センターバックというのは今まで例がない、というか征也のサイドバックが妄想の世界なら、元気のセンターバックはあなたの知らない世界です。まぁ大宮のメンバーを見ると大宮も3本目は相当ポジションをいじっていたので無失点でも参考にはならないかも知れませんが、報道によればセンターバックは「本人の希望」ということ。
 元気と言えば、和波智広、ソダンに続く(確か)3人目のオフィシャルブログ開設者となり、和波の「韋駄天7」、ソダンの「不易流行」というタイトルに対抗して、「中山元気のブログ」という漢らしすぎるほど直球なタイトルでブログデビューを飾った人。その後、2007年の途中に病気療養でチームを離れた和波はともかく、未だ現役であるはずのソダンのブログも2007年の8月以来更新を停止したきり、いつの間にやらインデックスからも消えている有様です。コンサドーレの所属選手には他にもブログを開設している人もいますが、J Player's Blogなど他のブログサービスで行っているため、今では元気がオフィシャルブログ最後の砦となっていました。その元気が「僕がやめれば手をあげる選手もいるかもしれないし」と、突然ブログの更新停止宣言をし、ついにオフィシャルブログ上での選手ブログが事実上絶滅してしまったのが去年の2月。それから1年が経過し、手をあげた選手はついに出てきませんでしたが、今年のグアムキャンプの開始に合わせて何事もなかったかのように怒濤のブログ更新を開始。去年1年間、本職のFWだけでなくサイドのMFとしても前線を駆け回った挙げ句、J2降格の詰め腹を切らされてダウン提示を受けてしまった悔しさをバネに、ブログ更新も出来高払いの契約となってるのではないかと思うほどの爆発的更新を続けています。そんな彼が新境地を開くべく挑戦するセンターバック。新境地にしても未開のジャングル過ぎるような気がしますが、チャレンジすることはいいことだと思いますので、頑張ってもらいたいと思います。

2009年2月 7日

失敗しない主将選び

 サッカーチームには主将という役割があります。厳密に言うと、この主将にはリーダーとしてチームをまとめる「クラブキャプテン」と、試合でキャプテンマークを巻いて選手の入場時に先頭に立ち、コイントスなどを行う「ゲームキャプテン」の2種類が存在するのですが、出場停止や怪我などで不在となる以外は通常クラブキャプテンがそのままゲームキャプテンとなりますので、実質1つの役割と考えて差し支えありません。この主将が誰になるかというのは意外と重要なファクターだったりします。
 しかしコンサドーレ札幌の場合、「主将の呪い」という都市伝説みたいなものがあり、曰く「主将になると不幸になる」と言われています。歴代のコンサドーレの主将は全部で今のところ8人ですが、チーム誕生の96年から98年まで3期に渡って主将を務めた後藤義一、99年~2000年の名塚善寛まではいいんですけど、2001年の野々村芳和は膝の怪我の影響もあって思うように動けなくなりこの年限りで引退、2002年の森下仁志は前年のJ1残留に貢献しながら主将となったこの年は空回りのプレイですっかりネタ選手扱い、2003年の佐藤洋平は藤ヶ谷にポジションを奪われシーズン途中で移籍、2004年の佐藤尽も主将となったこの年限りで引退、2005年から2006年の和波智広は主将になった途端に往年の韋駄天っぷりがすっかり影を潜め、その後病気で2007年限りで現役を引退と、確かにオカルトチックな現象が続いています。2007年に主将となった芳賀博信はJ1昇格の縁の下の力持ちとなり、ようやく呪いは払拭されたかと思いきや、2008年はスタメンからも外れるようになってしまい、西澤画伯に名指しで批判される始末。札幌ではメンタル面で強い部類だと思っていた芳賀ですら呪いには勝てなかったみたいです。

 そんな感じなので、ある意味ババ抜きに近い気がするコンサドーレの主将選び。主将という役割はだいたい、実力も経験もあるベテラン選手が務めることが多いですから、今季のチームで該当する人物となると、それらに加えてリーダーシップも併せ持つ箕輪義信以外にいないと思うのですけど、残念ながら箕輪は現在リハビリ中で開幕にも間に合うかどうか微妙であり、そんな状態であまりストレスをかけるのもどうかと思いますし、どっちかと言えば彼には2000年の高木琢也のように、裏で影響力を発揮する立場にいて欲しい気がします。しかし箕輪がダメとなると、そもそも札幌には若返りを図ったこともありベテラン選手は多くありません。というか、若手を含めても札幌って前面に立ってチームを盛り上げていくようなタイプの選手はあんまいないんですよね。
 通例ではだいたい監督が指名することが多いのですが、今年監督となったノブリンはその辺をさすがに気づいているようで、「主将? なかなか決め手がないから、選挙でもやってみようか」(日刊スポォツ)と選手たちに選ばせる可能性を示唆しています。候補は箕輪と去年まで主将を務めた芳賀、そして新人選手と外国籍選手を除く全員とのこと。
 日刊スポォツでは、「現時点で前評判が高いのは若手の22歳MF上里、22歳GK佐藤、21歳MF西の3候補」としており、MF砂川は「若い選手がやってもいい。カズ(上里)なんかJ1でもトップクラスのものを持っている。それを引き出すのに主将をやってみてもいいと思う」とコメントしています。砂さんにとってのキャプテンマークとはナメック星の最長老の力と同義のようですが、確かにジェフユナイテッド市原千葉の監督時代にオシムが阿部勇樹を主将に任命した時のように、チームの核となって欲しい選手にその自覚を促す意味合いであえて主将に据えるという方法もありますので、それはそれでありかも知れませんね。
 ちなみにノブリンは「困ったらGKじゃ」というものすごく身も蓋もない理由で佐藤優也推しらしいです。「主将になったら落ち着くんじゃないかな」とも。ノブリンにとってのキャプテンマークとは緊箍児と同義のようですが、そういえばアトランタ五輪の時に当時の西野朗監督がやんちゃしまくってた前園真聖を主将に任命したら見違えるように変わったらしいので、それはそれでありかも知れませんね。
 また、大伍も「指名されればやる覚悟はできている」とその自覚は充分。果たして誰になるのか注目ですね。

 まぁ、選挙が終わったら主将は普通に荒谷さんになってる気がしますが。

 さて、本日7日にはJ1ヴィッセル神戸とのテストマッチが45分×2本で行われ、2-2の引き分けとなったようです。得点者は砂さんと横野。横野は大宮アルディージャ戦に続き2試合連続のゴール。大宮戦ではループシュートという、ノブリンに命名された「麻呂」のニックネーム通りの雅なゴールだったようですが、神戸戦ではどんな麻呂ゴールが飛び出したんでしょうか。

2009年2月11日

プレデター・リターンズ

 前回のエントリで「主将の呪い」という都市伝説にちょっと触れましたが、札幌には他にもう一つ、「10番の呪い」という都市伝説も存在します。内容は主将のと同じく「10番をつけた選手はやっぱり不幸になる」というもの。たいていのチームスポーツと同じように、サッカーにおいてももともと背番号はポジションを表す番号でした。フォーメーションの変遷によってポジションそのものも変わってはいますが、いつの頃からかその中でも背番号10というのは花形背番号、いわゆるエースナンバーであり、「チームで最も優れた選手が背負う番号」として定着していきました。初期のJリーグでは背番号は固定制ではなく、試合ごとに出場する選手が1番から11番、控え選手が12番から16番(1番と16番はGK用)をつけることになっており、背番号が選手そのものに結びつくものではありませんでしたが、そのような時代においても、ジーコ(鹿島アントラーズ)やリトバルスキー(ジェフユナイテッド市原・当時)のように、「このチームの10番といえばこの人」というような選手がつける番号でした。
 ちなみに背番号といえば1995年にサンフレッチェ広島がユニフォームの1stと2ndを間違えて持ってきて、レプリカユニフォームをサポーターから借りてテープで背番号を作って試合を行ったというエピソードがありますがそれはさておき、Jリーグが固定背番号制となったのは1997年。プロ化以前のJSLやJFLでは固定番号制を採用していたため、チーム創設の1996年から1997年までJFLに所属していた札幌には変動番号制だった時代がありません。従って、札幌においては昔から背番号は選手のもう一つの顔とも言えるものでした。
 そんな札幌の10番の「呪い」が始まったのはミールさん(アウミール)あたりからでしょうか。日本でのプレイ経験が長く日本語も話せるミールさんは、FC東京から期限付きでやってきた2000年に10番を背負い、エメルソンとビジュという本能型ブラジル人と日本人選手との間をうまく取り持ちながらJ2優勝に貢献しましたが、決してテクニカルな選手ではなかったためかその年のオフに構想外となってしまいます。しかしそのミールさんの退団に激怒したビジュが退団すると言い出したこと、J2得点王エメルソンも朝起きたら肩が反対になってて帰国したまま退団が濃厚とされていたため、助っ人総入れ替えとなる事態を憂慮した岡田武史監督(当時)とクラブはミールさんとの再契約することにしました。それによりビジュの態度も軟化し契約更新にいたり、この時は一件落着となりました。翌2001年も10番は新加入の「俺王」ウィルではなくミールさんが背負うことになりましたが、やはりJ1では少し足りないという判断をされたのか、新たなブラジル人助っ人を呼ぶために結局シーズン途中で退団となってしまいました。もちろんミールさんには何の責任もないのですけど、残りのシーズンは10番が空位のままとなりました(ミールさんの代わりにやってきたアダウトは28番)。この辺の流れは絶賛腐敗中の別館に詳しく書いていますのでよろしければごらんになってください。
 この翌年以降、コンサドーレ史上初めて10番をつけた日本人選手となった山瀬功治(2002年)はシーズン中に靱帯断裂の大怪我を追い、その怪我も治らないまま移籍を志願(浦和レッズに移籍)。2003年のホベルッチはブラジル代表でも10番を背負ったことのある正真正銘の10番選手でしたが、ジョアン・カルロス監督(当時)との確執によりやはりシーズン途中で退団し、代わりにやってきたウリダも混迷するチームにあって持てる力を十分に発揮できずにシーズン終了後退団。2004年に史上2人目の「日本人10番」となった中尾康二はこれまた飲酒運転幇助によりシーズン途中で解雇、2005年に「誰もつけたがらなかったから」という素晴らしく後ろ向きな理由でいつのまにか決まっていたという三原廣樹は、前年に負った大怪我(靱帯断裂)の影響でトップフォームを取り戻すことができずシーズン終了後に退団(その後引退)と、不幸続きにもほどがあるって感じです。その後2006年のフッキは1年間だけのプレイでしたがそもそも期限付きでしたし、2007年から2年間10番をつけたダヴィは昨季移籍となったもののほぼ円満退団と言えると思いますが、シーズン途中にカタールへ移籍しそうになっていましたからね。まだ呪いが完全に消えたわけではなさそうです。

 とはまぁ、長々と書いて何が言いたかったのかというと、今年10番を背負うことになったクライトン、最悪の場合はシーズン途中どころかシーズン開幕前にいなくなるような最大級の呪いが待っているのかと心配になりましたが、無事札幌に到着しました。チームからは少し前に「熊本合宿からの合流となる」というアナウンスが公式にありましたが、何しろ相手はブラジル人ですし、父親の件もありますからね。実際熊本キャンプが始まってもクライトンの姿はない、みたいなことも充分に予想されたわけですが、Jリーグの選手ブログでもトップクラスに直球なタイトルを誇る「中山元気のブログ」に「成田空港でクライトンと合流」と書かれており一安心。ひとまずは大丈夫でしょう。ひとまず、14日の清水エスパルスのテストマッチは見に行きますので、クライトンが入ったことでノブリンがどういうチームを作ろうとしているのかチェックしてこようと思います。熊本入りしてからマッハで鹿児島行かないといけないのですけどね

2009年2月14日

キャンプ襲撃

 今年もやってきました熊本キャンプ。といっても宗敵の陰謀により、実際には熊本ではなく鹿児島までやってきたわけですが。以前も書いたとおり熊本までのチケットはJALの特典航空券を利用しているため行き先の変更はできず、いったん熊本入りしてから鹿児島まで向かうことに。というわけで(毎年のことではありますが)昨日から熊本入りしている九州在住のゴール裏メイトの車に文字通り便乗させていただき、清水エスパルスとのテストマッチが行われる鹿児島ふれあいスポーツランドまで行ってきました。
 狙いは当然新戦力のチェックなのですが、どたばた続きとなった今回のキャンプ襲撃を象徴するかのように、一番見てみたかったFW紀梨乃とMFダニルソンの両助っ人コンビがそろってケガで欠場。今季は新卒(および在学中)を除けば即戦力選手の補強は3人の助っ人とGK荒谷しかしてないので、その狙いの半分を始まる前からすでに失っているというショボーンモード。それでもノブリンになってチームがどう変わったのか、加えてグアムキャンプは不参加だったクライトンがどうチームに絡んでいくのかなど、見るべきところがないわけではない、と言い聞かせてやってきました。

 到着したのはキックオフ30分くらい前。既に札幌の選手もアップを始めています。そのアップしている一団を見るとフィールドプレイヤーばかりちょうど10人なので、たぶんこれがスタメン組なのでしょう。その中には紀梨乃とダニルソンはやはりおらず(ダニルソンは曽田さんと並んで別メニューのランニング、紀梨乃はトレーニングウェアに着替えてすらいなかったので少し重いのかも知れません)、メンツの内訳は芳賀博信、趙晟桓、柴田慎吾、西嶋弘之、上里一将、西大伍、岡本賢明、砂川誠、石井謙伍の10人。札幌サポーターがこのメンバーでフォーメーションを組むとしたら、4-2-3-1というシステムを組む方がほとんどだろうと思います。実際、自分もそう思っていました。ところが試合が始まってみると、4バックは右から芳賀、晟桓、柴田、西嶋、謙伍のワントップはその通りだったんですが、中盤はボランチが上里と大伍の2枚、それより上がり気味の位置にクライトンがいて、さらにその前に右から砂川と岡本が並ぶという布陣。フォーメーションで書くと以下のような感じ。

      石井
  岡本       砂川
     クライトン
    上里  西
西嶋 柴田 晟桓 芳賀
      荒谷

 端的に言うならば、クライトンは好きにやりなさいシステムということですね。で、このシステムがうまく機能したかどうかは、結論から言えばあまりうまく行かなかった、と言わざるを得ません。クライトンが自由に動き回るのはいいんですが、そのクライトンのフォローを誰がどのようにやるか、などがあまり見えません。結果として誰もがボールを持てばまずクライトンを探してしまうためどうしても攻めのスピードを上げることができず、結果としてボールを持ってはいてもリズムには乗り切れない状況。そうこうしているうちに前半15分、ペナルティエリア内で趙晟桓が原一樹を倒してしまいPKを献上。これを原に決められ先制点を許します。ただこれ以降は清水もこれといったチャンスはなし。この日の鹿児島の最高気温は21.4度と、4月中旬並の陽気でして、いくら南九州といえどこの時期にそこまで気温が上がることは珍しく、実際過去指宿でのキャンプを含めて何度もこの時期に九州に足を運んでいますが、ここまで上がることはなかった、というよりはむしろ九州のくせに寒かった記憶のほうが多いですから、両チームともここまで暑くなるとは想定外だったのでしょう。半袖のウェアは持ってきていなかったようで、お互い長袖のままプレイしていたことも影響していたかも知れません。しかも、試合会場の鹿児島ふれあいスポーツランドはその名の通り鹿児島市民のふれあいの場のようで、絶好の行楽日和だったこともあってかかなり人出も多く、サッカーグラウンドのすぐ近くに子供用遊具施設もあるために、周囲はその辺を走り回る小さな子供ばかり。プロサッカーチームのキャンプ会場になったりkyuリーグの試合も行われたりすることもある場所ですが、こう見るとむしろサッカーの試合やってるほうが場違いみたいな感じ。そんなのどかすぎる雰囲気の中、それに合わせるようにのどかな試合が目の前で繰り広げられ、前半は0-1のまま終了。

 後半は大幅にメンバーを入れ替えてきた札幌に対し、この札幌戦の後行われる予定のヴォルカ鹿児島とのテストマッチには控え組で臨む方針らしい清水は、後半も主力組のまま。札幌のフォーメーションは以下のような感じ。

    宮澤 横野
  岡本      上原
    上里 大伍
西嶋 吉弘 晟桓 芳賀
      優也

 このメンツが意外にも機能し開始早々にチャンスを作るものの、その後は攻撃の際にどうにもこうにも余計なパスを入れてしまうため清水の守備を崩しきることができず、ろくすっぽシュートも打てず。札幌は14分に岡本との交代で古田が入ったのを皮切りに21分には晟桓を下げて岩沼俊介を、25分には上里を下げて堀田秀平を、芳賀を下げて練習生の森川を入れるなど次々とメンバーを入れ替え、その結果頻繁なポジションチェンジが発生した影響もあってか、29分に上原が中盤で奪われたボールをヨンセンからマルコスパウロに繋がれこれを決められてゴール。結局ほとんどシュートが打てないまま0-2で終了しました。

 まぁそんな感じで総括なんですが、あくまでも「現時点での」という前提の上で先に結論から申し上げれば、ノブリンが来たからと言って過度の期待はしないほうがいいというのが正直なところです。もちろんこの日欠場した助っ人が入ればもっと変わってくるかもしれませんが、あまり彼らに頼りすぎるのもどうかという気もしますしね。ただ、ノブリン曰く「守備の練習しかしとらん」というグアムキャンプから帰ってきた直後の熊本キャンプでの初のテストマッチですから、攻撃面ではまだこれからなんでしょうし、2失点はしたもののさすがに守備の練習の成果はそれなりに出ていたように思います。あまりパフォーマンスはよくなかったとはいえ、マルコスパウロや枝村、伊東輝、市川といったおなじみの主力組の顔ぶれに、プラスして新加入のヨンセンがいる清水に対し、こちらは既報の通り紀梨乃もダニルソンがおらず、趙晟桓はいますけどその代わりに箕輪がいません。ざっくばらんに言えば去年のチームから相手はプラスヨンセン、こっちはマイナスダヴィということになるわけで、特に札幌は3時間くらいバスに揺られて移動してきていますので、その辺の疲れもあっただろうこと、相手がほぼフルタイム主力組だったことを考慮に入れれば、まぁそんな悲観するほどでもないかなと。

 最後に、この試合で気になった選手の寸評などを。

 DF趙晟桓…PK献上したものの対人プレイは強い。でもロングパスを出すのは苦手っぽい。
 MFクライトン…鬼キープは健在。ブラジルで遊んでいたわけではない。
 FW石井謙伍…ワントップは無理。
 DF柴田慎吾…高さはヨンセンに負けてなかった。むしろ勝ってた。
 MF古田寛幸…マルコスパウロに子供扱いされてた。ほとんど何もできず。
 MF岡本賢明…終始黙って試合を見ていたノブリンに唯一注意を受ける。期待の表れ?
 GK荒谷弘樹…安定してた。でも絶対袈裟のほうが似合うと思う。

 あとの選手は、すみませんあまり印象に残りませんでした。

2009年2月15日

キャンプ襲撃2日目

 清水エスパルスとのテストマッチから一夜が明け、本日は通常練習の日。いつものごとく2部練習の予定ですが、午前練習はたいていの場合フィジカルトレーニングがメインなので、見たところで別段面白いものでもありません。しかしそうかといって別に他にすることがあるわけではないので、とりあえず午前中から見に行くことにしました。しかしそれはいいのですけど、モバイル版の公式サイトに出ていた2月15日の練習場所は「未定」。要するにどこで練習するかわからないのです。
 ひとまず場所は熊本県民総合運動公園であることはたぶん間違いないのですが、ここの公園にはサッカーの練習ができるグラウンドがKKウィングスタジアム、補助競技場、サッカーグラウンドと3つあります。未定というのはつまりこのうちのどれでやるかわからない、ということでしょう。ただ、今までも練習場所が急遽変更になり、赤いトレーニングウェアの人たちを探してうろうろ歩き回ったことはありますし、逆に言えばこの3つのうちどこかには必ずいるということですから、とりあえず行ってひとつずつ潰していけばいいやと大して問題視はしませんでした。
 というわけで我々はまず駐車場から一番近いサッカーグラウンドへ。しかしサッカー選手らしき人たちはいるもののどうやらコンサドーレではないみたいです。ここではなさそう。であればと補助競技場に向かいましたが、ここは無人。陸上トラックでトレーニングをしている小学生の集団がいるくらい。となると、残りはスタジアムしかないので中に入ってみると…。

 いねぇじゃん、札幌。

 正確に言えば札幌の選手は確かにいることはいたのですが、いたのはネ申、ダニルソン、紀梨乃の3人のみ。つまり別メニュー組だけで他の選手は影も形も見当たらず。この3人がここにいるということは別の会場での練習することになった、ということも考えにくいですから、きっと運動公園のどこかにはいるのでしょうけど、さりとてめぼしいところにはもういないことは確認済です。しかたがないのでPCサイトに何か情報が載っていないかとノートPCを取り出して電波が悪い中なんとか公式サイトを開いてみると、2/15の午前練習は「KKトレーニングルーム」となっていました。ああ、トレーニングルームだったんですか。じゃあ今まで見つからなかったのも納得がいきますね。で、どこですかそれ。
 ひょっとしたらパークドームというKKウィングに隣接している屋内施設ではないかと思いそっちに行ってみましたが、やはりコンサドーレの選手の姿はなし。まぁトレーニングルームということは筋トレでしょうからそんなモン見てどうするんだって話もありますけど、ここまで来たら練習を見るというよりも選手を発見するのが目的です。しかし思いつくところはもうなく、途方に暮れていると遠くのほうでなにやら赤いトレーニングウェアを来ている人が3人ほど歩いています。向かう先はどうやら補助競技場の模様。もしかしたらアレか? と思っていたらその赤い人たちが次々と増えていきます。ようやく見つかりました。
 というわけで我々も補助競技場に歩いて行ったところ、ちょうどノブリンと鉢合わせ。話を聞くと、KKウィングの中にトレーニングルームがあって、そこでやはり筋トレしていたようです。スタジアムの中というのは盲点でした。まぁどのみちそこまでは入れないと思いますけど。後残りは20分ランニングをして午前練習は終了とのこと。せっかくなので見ていくことにしたのですが、先ほどの補助競技場の陸上トラックで練習していた小学生達が、どこのチームなんだろうみたいなことを話していました。コーチらしき人が子供達に、「コンサドーレ札幌だって」と伝えたところ、男の子の1人が「お、じゃあ得点王のダヴィってのがおったな。ダヴィおる?」。

 ごめんな。ダヴィは名古屋に行ってしまってもうここにはおらんとですよ…。

 しかし正確には得点王ではないですけど、サッカーではなく陸上をやってる男の子ですらダヴィの名前を知っているんですから、やっぱりJ1というのはそういうところなんだなぁと思いました。でも、ひとまず熊本の子供達に最初に名前を出してもらえるよう、その時彼らのすぐ近くを走っていた熊本出身の岡本賢明くんには是非とも頑張ってもらいたいと思いました。

 さて午後練習は(念のためスタッフに確認をして)KKウィングスタジアムで行われました。紀梨乃は最初から別メニュー、ダニルソンと元気はストレッチまでは加わっていましたがその後は別メニュー、リハビリ中の曽田さんとキャンプに来ていない箕輪を除けばこれで全員…かと思いきや、午前練習にはいたはずの小ヒロ(古田)がいません。まだ彼は高校生ですから、もしかしたら明日から学業復帰のために午後の飛行機で札幌に帰ったのかと思っていたら、しばらくして曽田さんと共に登場。そのまま練習には加わらず足首をアイシングしてましたのでどうやら怪我をしてしまったみたいですね。おそらくは曽田さんと筋トレをしていたんじゃないかと思いますが、個人的には曽田さんに勉強を教えてもらっていたということにしておきます。
 チームの練習は、清水戦の反省を生かしてか主にサイドからの崩しに重点を置いたメニューでした。ただ単にサイドにパスを出してクロスにFWが飛び込むというものではなく、まず片方のサイドからスタートしてボランチを経由してサイドチェンジを行い、逆サイドに振ったパスをサイドハーフが受けた位置が高ければ受けた選手がそのまま持ち込み、低い位置ならばサイドバックが追い越していってそこにパスを出すか判断させ、そしてサイドからのクロスにはFWの選手がそれぞれニアとファーに走り込むという内容。まずはディフェンスの選手を置かずにやって、その次は攻撃8人に対しDF4人とボランチ2人の6人を守備に置きより実戦的に行っていました。あくまでもサイドアタックの基本でしかないですが、こういう基本の繰り返しこそが重要だと思います。
 それにしてもクライトンはやっぱりうまい。ミドルレンジのサイドチェンジのパスがぴったり相手に合うキックには、今更ながら惚れ惚れします。キープ力は言わずもがな、J2なら確実に反則クラスの選手だと思います。
 ところで、練習生として参加している岡山環太平洋大学のFW森川龍誠くん、清水戦ではこれといった印象はなかったんですが、本職ではない中盤でプレイしたせいもあったようで、FWの位置でプレイしたこの日の練習ではいいシュートを次々と決めていました。どうやらペナルティエリア近くで勝負強さを発揮するタイプのようです。2年生ながら県学生リーグベストイレブンに選ばれ、国体の成年男子代表として選ばれ準優勝に貢献したというのもうなずけます(1回戦で北海道選抜を相手に得点したことが縁で呼ばれたんでしょうか)。まだ2年生ですし今すぐどうこうという話はないと思いますが、そうでなくても人数が少ない上に怪我人も多い札幌では学徒動員でもしないと始まらないので、せめてキャンプの間はよろしくお願いします。

 練習終了後は、恒例…かどうかはわかりませんが砂さん、征也、カズゥの3人によるフリーキック練習。既に暗くなり始めていたのであまり長いことやっていたわけではありませんが、征也と砂さんが1本ずつきれいに決めたのに対し、左のフリーキッカーとして期待のかかるカズゥは、決めるどころか壁を越えることすらなかなかできません。3本続けて練習用壁人形・通称「いけにえくん」にぶち当てる有様。しかも左から2番目の「いけにえくん」だけを倒し続けただけでなく、そのかわいそうな生け贄くんを見かねて代わりに左から2番目に入った高橋エキップマネージャーにお約束のようにぶつけるという、ある意味正確無比なキックを披露しておりました。結局どこから蹴っても生け贄くんにぶち当て1本も決められなかったカズゥ。そういえば清水戦でも攻撃練習でもサイドチェンジのパスがどうしてもオーバー気味になってしまっており、ひょっとしたら知らない間にパワーアップしたオノレを制御できていないのかも知れません。これを乗り越えれば、きっとニュータイプとして目覚めることができるのではないでしょうか。期待しています。

2009年2月16日

熊本参り終了

 さて、同行のゴール裏メイト達は15日のうちに帰宅の途についたのですが、自分は15日も泊まって16日までの滞在。ただ最終日は特に練習を見ずに14:30熊本発の飛行機で帰ることにしてたんですよ。その理由は、帰宅があまり夜遅くなるようだと疲れが取れず翌日からの仕事が大変なこと、そしてKKウィングへのアクセスの問題です。
 2004年の天皇杯の大分トリニータ戦を見に行かれた方はご存じでしょうが、KKウィングは熊本市の中心部からはかなり離れている(バスで45~50分くらいかかる)上、空港へ直接アクセスできる公共交通機関がタクシー以外にありません。空港からはそう遠くないのでタクシーなら15分~20分で着くのですが、そのタクシーが滅多に通らない(公式戦のある日はまた別なんでしょうが)。配車してもらったとしても来るまでけっこう待ちます。普通の人なら「だったらレンタカーでも借りたほうがいいじゃん」と思われるでしょうが、筋金入りのペーパードライバーである自分にとって車を運転するのは日本の平和を乱す行為ですし、おまけに極度の方向音痴であるためカーナビがついてても迷う自信があります。毎回いかに友人にお世話になってるかを痛感するわけですが、とにかく市内からKKウィングに行き、練習を見てそのまま空港に行くのはけっこう大変。見れたとしても時間的には通常はフィジカルトレーニング中心の午前練習のみなので、そこまでの手間をかけることもないだろうと思っていたため、だったら熊本の街をぶらぶらしてからゆっくり帰ろうと思っていたわけです。

 ところがどっこい、熊本入りする前日の13日に新しいチームの予定が発表され、2月16日と2月19日に水前寺競技場で韓国Kリーグの浦項スティーラースとのテストマッチが行われることは判明しました。熊本散策(といってもどうせ行くのはアニメイトだったりするわけですが)もいいけどテストマッチが行われるなら話は別ですし、おまけに水前寺競技場は施設は古いものの中心部から市電で15分程度、近くの水前寺公園からは空港までのバスに乗ることができるというアクセス抜群の場所にありますから、まさに降って沸いたラッキーチャンスだったわけですよ。試合開始が14:00じゃなければ
 去年の水原サムスン戦みたいに10:00開始とかならよかったんですが、中心部から空港まではだいたい50分くらいかかるので14:00からの試合を見たらどうやったって飛行機に間に合いません。搭乗便の変更をしようにも、変更できるのは搭乗予定日の4日前まで。つまり12日いっぱいがリミットだったわけです。キャンセル料を払って取り直そうにも、特典航空券の予約は出発日の4日までですからそっちはなおさらダメ。そんな八方ふさがりの状況にほんの少し「正規料金で最終便に乗るか…」という最終強硬手段もほんの少し考えたのですが、「どうせ紀梨乃もダニルソンも出ないだろうし昨日は確かに攻撃練習してたけど中1日くらいじゃそんなに大きく変わらないだろうし浦項だって決して弱くないから勝敗はともかくまた無得点だったら困るし」と無理矢理自分を納得させて、未練を断ち切るように早めに行った空港のロビーで「狼と香辛料」を読んでいた(アニメイトで買った)わけです。
 そして東京に着いてからの帰りすがらに確認した浦項戦の結果は…無得点どころか3-2で勝利。しかも携帯サイトのレポートによれば「トレーニングしてきたことが表現でき…」などと書かれています。しかもよくよく見たら、どうせフィジカルメインだろうと思っていた午前練習もどうやら攻撃のトレーニングに時間を割いたようで、つまり自分の予想はひとつも当たらなかったということです。もともとギャンブルは苦手なオレですが、最初にチケットを押さえた22日は沖縄でのプレシーズンマッチに当たってしまい、振り替えた日も鹿児島送りとなった上にお目当ての紀梨乃とダニルソンが揃って欠場、翌日の練習ではどこを探しても選手が見つからないという、フレッシュプリキュアのオープニングの音程と同レベルの外しっぷりを続けた自分にふさわしい締めくくりでした。

 というわけで、自分が見に行った清水エスパルス戦では無得点だったのに、見に行かなかった浦項戦では3ゴール。もちろん単なる観客ごときが試合結果に影響を与えるようなことはあるはずもないですけど、そういえば、自分が今まで見に行ったテストマッチって、あんまり勝った記憶ないよなぁと思い、どんな成績だったのか調べてみました(チーム名はいずれも当時のもの)。

2002/06/22 御殿場時之栖グラウンド
 対川崎フロンターレ 0-1(45分×2)
2002/07/06 日立柏サッカー場
 対柏レイソル 0-2(45分×2)
2002/08/30 宮の沢サッカー場
 対道都大学 3-1(45分×2)
2002/09/02 万博グラウンド
 対ガンバ大阪サテライト 1-0(45分×2)
2004/03/06 御殿場裾野グラウンド
 対静岡産業大学 2-0(45分×3)
2005/02/13 インターナショナルゴルフリゾート京セラ
 対京都パープルサンガ 0-3(45分×4)
2005/02/20 愛鷹競技場(PSM)
 対ジュビロ磐田 0-1(45分×2)
2006/02/18 KKウィング
 対ロッソ熊本 8-2(45分×4)
2008/02/17 水前寺競技場
 対水原サムスン 0-4(45分×4)
2009/02/14 鹿児島ふれあいスポーツランド
 対清水エスパルス 0-2(45分×2)

 そんなに多くのテストマッチを見てきたわけじゃないですけど、プロ相手に勝ったのってガンバサテライト戦だけで、それ以外では勝利はおろかただの1点すら取れてないことに気づきました(2006年のロッソは一応選手はプロ契約してましたが)。2005年の愛鷹でのPSMでは午前中にサテライトチーム同士の試合をやってそれは2-1で勝ってるんですけど、その時オレは東名の通行止めで足止め食らってたし。懸賞の類に当たったことのない自分はやっぱり引きが弱いのでしょうか。ああ、オレも幸せゲットしてえ。

2009年2月21日

新主将決定

 Jリーグの開幕まであと2週間となった本日、今季のチームの主将と副主将が決定したという公式発表がありました。ノブリンの言うとおりに選挙が行われたのかどうかはわかりません(たぶん明日の新聞で出るでしょう)が、注目の新主将はMF上里一将。そして副キャプテンは石井謙伍と中山元気ということです。
 宮古島初のJリーガーとして宮古高校から2004年にコンサドーレ札幌に加入した上里は、高校時代までは全国的にはまったくと言っていいほど無名の存在でした。しかしルーキーイヤーから徐々に頭角を現してレギュラーの座をつかみ取るようになり、その年の天皇杯ではJ1のジェフユナイテッド市原(当時)戦でプロ初ゴールを挙げるなど予想以上の活躍を見せました。2年目もさらなる飛躍が期待されましたが8月に十字靱帯断裂の大怪我を負い、その後ほぼ1年を棒に振ってしまいます。2006年に復帰するも怪我前とのイメージとのギャップに苦しんだのかなかなか元のパフォーマンスを取り戻すことができず。三浦監督となってからはトップ下を置かない3ラインシステムにあって、もともとは攻撃的MFで守備のあまり得意ではない彼になかなか出番が回ってきませんでしたが、課題だったフィジカルの弱さを克服した昨季終盤あたりから再び試合に出られるようになり、今年はさらなる飛躍が期待されています。
 早生まれのためまだ22歳と、コンサドーレとしてはもちろんJリーグ全体としても異例の若さでの主将就任ですが、実は彼ももう6シーズン目と、生え抜き選手としては2001年加入の曽田さんに次ぐ2番目、チーム全体としても2003年加入の砂さんに次いで3番目の在籍年数の長さとなります。それだけ人の入れ替わりが激しいということの裏返しでもありますし、早い時期から主力の座を掴んだのも2004年から始まった「もうほんとにお金ヤバいっす贅沢は敵っす作戦」、いわゆる「五段階計画」による極端な若返り政策が背景にあったこともありますが、それでもその年加入した強化指定の権東勇介を含む6人のルーキーのうち、今でもチームに残っているのはこの上里だけ。ある意味今のコンサドーレ札幌というチームの象徴とも言える選手だと思います。もちろんプレイ面でも、その左足から繰り出されるフリーキックは強力。まぁこの間の練習ではその強力さはいけにえくんの暗殺に向けられていたのですが、さらにパワーアップしたことで引いて守りを固めてくる相手に対して彼の必殺ミドルシュートが役に立つことでしょう。J2ではそういう相手も少なくないでしょうしね。
 そんなキャプテンマークを巻いた「スーパーカズゥ」のお披露目は明日沖縄で行われるFC東京とのプレシーズンマッチ。おそらく故郷・宮古島からも多くの友人や親戚が見に来るでしょうから、「札幌は入団の時に無名だったほうが伸びるの法則」の先輩である今野泰幸の入る東京に一発きついのをお見舞いしてあげて欲しいですね。そしてこれから彼がどのようにチームをまとめていくかはわかりませんが、副主将のメンツ構成を見ると、きっと上里自身もうちなーぐちにちなんだタイトルのブログをやらされることになると思います。
 ちなみに「上里」という苗字は宮古島ではけっこう多いらしく、そこかしこに上里という表札の掲げられた家があるそうです。今季京都サンガFCに加入した上里琢文選手(宮古高)も、同じ苗字でも血縁関係はないとのこと(まぁ先祖をさかのぼりまくればいつかは当たるかも知れませんが)。

 さてそのプレシーズンマッチですが、新聞報道などによれば、どうやら13日に膝を痛めて別メニュー調整が続いていたFW紀梨乃も復活し、今季初めて助っ人カルテットが揃い踏みとなるようです。ダニルソンも2回目の浦項(2月19日・0-1で敗戦)で復帰していますが、まだ連携面に課題を残しているようですので、いきなり噛み合うとは思いませんが、この試合で今季の布陣がだいたい見えてくると思います。

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