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2002年1月 アーカイブ

2002年1月 1日

謹賀新年

 というわけであけましておめでとうございます。と言っては見たものの、よく考えれば何がおめでたいのだろうという気がしないでもないなんて一休さんみたいなことも言ってみたくなるワケですが、とにかく2002年となりました。今年はご存知の通りワールドカップイヤー、日本中がワールドカップに向けて無駄に盛り上がるであろう中で、コンサドーレ札幌は多分忘れ去られる運命にあるかと思います。監督交代や2トップの放出など、来るべき新シーズンに向けた不安材料がないわけではありませんが、どさくさ紛れにいつの間にか逃げおおせていることの得意なコンサドーレ札幌だけに、それもまたいいかもしれません。
 それにしても、結局新監督の正式発表が未だにないまま新年が明けてしまいました。Jクラブの監督に必要なS級ライセンスがまだ正式には下りてないとはいえ、次期監督が柱谷哲二氏であることはいわばモンゴルマンの正体くらいにバレバレなことなのですから、早いとこ監督業を進めてもらいたいものだと思います。天皇杯決勝の解説なんて、長谷川健太にでもマスクを被せてマスク・ド・柱谷として送り込んでおけばよろしい。「彼は日本語しゃべれませんので」とか言っておけばバレねぇって。

まぁいずれにしても今年もよろしくお願いいたします。

2002年1月 5日

哀しき別冊号

 年末年始は札幌の実家に帰省しており、昨日練馬の自宅に戻って参りました。ノートパソコンを持って帰って実家でもちょこちょこつないではいたのですが、正月ならではの飲んだり喰ったり飲んだり喰ったり寝たり飲んだり喰ったりという人間の尊厳すら失ってしまいそうな生活を繰り返していた上、PHSで接続しているためパケット料金が気になってサイト巡りどころの話ではなく、元旦の更新の他はオノレサイトの掲示板チェックにメイルチェック、そして高校サッカーの結果チェックくらいしかしてませんでした。そんなわけで常時接続の自宅に戻ってきて、ただいまゆっくりじっくりといろんなサイトを巡っているところです。
 とまぁ、そんなオレの日常には誰も興味がないと思うのでヤメにしますが、札幌にいた間に「月刊コンサドーレ」の別冊を買って読みました。2001年シーズンの全試合記録や岡田前監督とサッカージャーナリストの後藤健生さんとの対談の他に、昨季1試合以上に出場した選手全員の手記が載っています。今野の中学生の作文のようなほほえましい文章や、「来年もよろしくお願い致します」とか「来年こそがんばります」と書いて、そのままチームを退団してしまったというまさに鬼が笑う結果となった選手のものもあるのですが、何よりも森くんの「半月板ください」という色紙メッセージは泣けました。膝が酷使されるのはサッカー選手の宿命とはいえ、魂の叫びとも言えるメッセージに、今季のリーグ戦も森くんの元気な姿が見られることを祈るばかりです。
 しかしそうなってくると気になるのが山瀬です。12月28日に餅つき、大晦日にはカウントダウン、そして新年明けて1月6日にはトークショーとオフの間各種イベントにかり出され、本人自体が試合中同様に酷使されているだけにとっても心配です。

2002年1月 7日

闘将来道

 岡ちゃんの後任監督として就任が内定していながらもライセンスの関係で発表が遅れていた柱谷哲二氏ですが、年も明けてようやく監督就任内定が発表されたそうです。明日8日に記者会見が行われ正式発表となるとスポォツ報知のWebサイトに載っておりました。
 ご存知の通り柱谷氏は母校である国士舘大学のコーチを務めていましたが、Jチームの監督としては札幌が最初となる新人監督。たとえるなら購読誌が「めばえ」から「小学一年生」にアップした程度ということになるかと思いますが、まぁ大枚はたいて他のチームから実績のある監督を引き抜けるほどの体力のあるチームじゃないし、海外に太いパイプがないから外国の監督を騙して拉致してくるのも難しいでしょうし、かといって並の神経を持った監督ならば普通は「屏風の虎を捕まえろなんてムリです」となるでしょうから、必然的に哲二さんや岡ちゃんのように監督としてのキャリアの浅い人物となるのも仕方ないかなという気もします。
 新監督の抱負などはその記者会見でいろいろと聞けると思いますが、採用システムやコンセプトなどはさておいて、何はともあれオレにとっては「ジャージを着てくれるかどうか」が最大の注目点です。
 ところで、この記事にはいくつか気になったことがあるのですが、その最大のものが見出し文にあった「磐田の奥大介獲得に乗り出すことが明らかになった」というもの。確かに磐田での起用法に不満を持ち移籍を希望していたのは有名な話ですが、常勝・磐田所属の代表クラスの選手だけに、移籍を希望しているとはいっても札幌にはまるで無関係な話だと思っていましたから、札幌がらみの記事で「奥」の名を目にするとは思いませんでした。ただ、本文のほうでは「『中盤のドリブラーがどうしても欲しい』と札幌の関係者。そこでターゲットを日本代表MFの奥に絞って交渉を開始する可能性が出てきたというものでした。

 どうやら冷やかしみたいです。

 しかも「ネックは移籍金で3200万円(推定)の年俸から移籍金は約2億円になると見られている。金銭面がクリアできればすんなり移籍が実現しそうな勢いだとか書いてるし。まぁ2億っつうのは満額での金額でしょうから実際にはそこまではいかないとは思いますけど、少なくとも億以下にはならないでしょう。そんな大金をさくっと払えるくらいならそもそも俺王様は横浜に行ってないでしょうし、レンタルだとしても3200万なんて年俸をすんなり出せるくらいなら洋平はあんなにゴネてないと思うんですけど。

 まぁ、切れ味鋭いドリブルのみならず正確なプレイスキックも持ち、なおかつ運動量もある選手ですから、もし加入するのであれば大きな戦力になることは間違いありませんけどね。サンケイスポォツによると正式なオファーは届いてないようですが、奥が2000万程度の年俸で我慢して、かつ磐田が最大限の譲歩でもしない限りは実現の可能性はかなり低いと思います。中盤のドリブラーを欲しがってるというのなら、前園さんにオファーというオチのほうが現実味があったんですけどね。

 あと虹と雪のテキストト更新、アウェイ会場で時たま配布されている「Consadole Welcome Program」に書いたアウェイ最終戦の原稿です。フリーペーパー原稿はこれで終わりです。

2002年1月10日

J1なればこそ

 この間テレビでやっていたくだらないギネス特番に影響されてオレがマッチ棒で世界一大きいブタに挑戦している間に、コンサドーレでは柱谷監督の就任(内定)会見とS級ライセンス正式取得承認を始めとして、96~97年に札幌に在籍していた冨樫剛一氏(東京ヴェルディ1969マネージャー)のアシスタントコーチ就任、今野、相川、吉瀬のU-19日本代表候補入り、東京ヴェルディの小倉隆史選手の獲得、ガンバ大阪の小島宏美選手と横浜Fマリノスの平間智和選手のレンタル移籍決定など、にわかに慌ただしくなってきました。
 昨年までは渋めの補強が中心だった札幌、と言えば聞こえはいいのですが、実際のところはチームの財政事情やらステイタスやらの関係で「札幌? んなところに行くくらいなら他のチームに行くよ」と鼻であしらわれていたでしょう。少なくとも複数のオファーがあった場合、札幌は選択肢の優先順位としては下から数えたほうが早いチームだったというのが現実だったと思います。今までそこら辺のハンデをカバーしてきた「岡田武史」というブランドがなくなった今季も酒井、小倉、小島と一気に国際Aマッチ出場経験を持つ選手を獲得出来たことに、何だか元暴走族のサラリーマンが銀座のママをゲットしたり商社の受付嬢が実は筆頭株主だったりするような違和感を感じているわけですが、それなりの知名度を持った選手を獲得することが出来たと言うことは、Jリーガーにとってのコンサドーレ札幌の地位もだいぶ変わってきたのかな、と思います。相川なんかももし札幌がJ2のままだったら入団してなかったかもしれませんし、この辺はやっぱりJ1の恩恵なのかなぁと思いますよ。

 あ、世界一のマッチ棒ブタはあきらめました。うまい棒しかなかったんで。

2002年1月13日

ストライカーの集い

 ディド塾長、張軍曹が契約を延長し、新フィジカルコーチに前ヴェルディユースフィジカルコーチの石栗建氏が就任、そして生きて再び北海道の土を踏むことが出来た冨樫とコーチ陣の顔ぶれも正式発表され、チームの新戦力補強もほぼ終了し2002年のコンサドーレの陣容も固まったようです。だいぶJ1で戦えそうメンバーが揃った感じですね。キーちゃんや永井が来るという噂を聞いてヒステリックに拒否反応やフロント批判を繰り返していたサポーターは反省するように。
 今回の即戦力クラスの新加入選手で目を引くのが小倉でして、クラブからの公式発表には完全移籍とは書いておりませんでしたが、「期限付き」の記述がありませんでしたからおそらくは完全移籍なのでしょう。四日市中央工時代から「レフティーモンスター」と呼ばれアトランタ五輪代表では前園や城はもちろん現在イタリアでプレイする中田英寿よりも期待されていた選手でしたが、五輪最終予選前の合宿で重傷を負ってしまい、それ以後は度重なるケガに泣かされ続けて表舞台から姿を消してしまいました。現在でも「あのケガがなければ…」とか「西のファールがなければ…」と悔やむファンが多いのですが、その後名古屋→市原→東京ヴェルディと渡り歩き、今季ヴェルディから構想外となって札幌にやってきました。
 そんなレフティーモンスターが札幌にやってくることについて喜ぶサポーターも多い反面、全盛期とは程遠いと言わざるを得ない今の小倉が札幌で活躍することが出来るのかと心配なサポーターも多いようです。とはいえ、全盛期の小倉ならばそもそも札幌くんだりまで来ていないでしょうし、彼がコンサドーレのユニフォームを身に纏う以上、我々に出来ることは応援する以外にありません。
 まぁオグが全盛期の彼ではなかったにせよ、前回の「コンサイズム」のコラムでも書きましたが、ストライカーが結果を残せるかどうかは、本人の能力ももちろんですがそのチームの戦術とトップとしてコンビを組む相方といい関係を築けるかどうかにかかってきます。ただし、これは他に獲得したロブソンやコジにも言えるのですが、逆に言えば00年の俺王子&バンバンや01年の俺王様&バンバンのように、そういった面でチームにフィットすれば期待以上の結果を残せるとも言えるわけです。つまり「単体ではパッとしなかったけどコンビを組ませたらブレイクしたアイドル」みたいな感じです(WINKとか)。まぁもっとも、ピンでダメだったのでまとめてみたらやっぱりダメだったトリオ・ザ・パンジーみたいなのもいないわけではないのですが。

 ちなみにオレの個人的な意見としては、これまでの歴史上で最高のコンビだと言えるのは、「ポンキッキーズ」の鈴木蘭々&安室奈美恵だと思っています。

2002年1月15日

新体制始動

 2002年のシーズンに臨むコンサドーレ札幌は、14日に恒例の新入団選手の発表を行いました。今年の新戦力は11人。既にクラブから発表のあったプチ俺王ら新人選手とオグ、コジ、ナオキ、平間といった移籍選手、そして新助っ人のマクサンドロとロブソン、練習生契約のFW田澤勇気(道都大学)がマスコミの前に姿を現しました。このうちマクさんとロブソン、田澤は新聞上では獲得が報じられていながらもオフィシャルサイト上ではなかなか正式リリースされず、「本当に来るのか?」と不安になったりした方も多いようですが、正式発表はやはりないままお披露目となりました。と言うわけで、オフィシャルサイト上ではこの3人は何の伏線もないまま登場するキャラクターとなっています。まぁこの3人については獲得正式発表とお披露目を一緒にやったという見方も出来なくもないのですが、同時に発表された今季の背番号リストを見るといつの間にかいなくなっていた大黒が涙を誘います。なお、この新背番号でめぼしいところは山瀬が10番、曽田が18番、今野が2階級特進の4番となり、例年の通り12番がサポーター用、28番がアダウト用として欠番(嘘)となっています。

 昨年の新入団選手発表では何よりも俺王様の圧倒的な存在感にビビったものですが、今季の場合はマクさん、ロブソン、オグ、コジ、吉瀬、阿部、相川ら比較的背の高い選手の入団が多いため、起立写真では一気に新居がいなくなるのですが、どいつもこいつもなかなかふてぶてしい面構えの選手が揃っており期待できそうです。なお、ナオキとコジがレンタル移籍で札幌加入となったために「札幌に移籍してくるのでは?」と噂されていた某AV嬢の札幌へのレンタル移籍が正式に決定した模様です。

2002年1月18日

新ユニフォーム発表

 今季、1部での2シーズン目を戦うことになるチームの「勝負服」が本日クラブから発表されました。今年から認められることとなった「パンツスポンサー」はJR北海道。パンツについているコンサドーレのエンブレムの上にロゴが入る形です。その他のスポンサーは変わっていないのですが、1999~2001年とは違って胸と背中のスポンサーが入れ替わり、胸に「白い恋人」、背中に「サッポロビール」というユニフォームになり、サポーターの間では去年のファン感謝デーで発表されてあまり評判の芳しくなかった新しい2ndユニフォームと相まって、早くも言葉を失っている方も多いようです。
 まぁオレ個人としてはコンサドーレのユニフォームにカッコよさは求めてない、つうかむしろコンサドーレのユニフォームにカッコよさなんて求めようものなら、行き着く先は紅白の吉幾三しかないと思うのですが。とりあえず確実に言えるのは、このユニフォームを着れば極限まで対戦相手の気合いを削ぐことに成功しそうだということです。ただ、スポンサーの配置としては98年のユニフォームに戻ったということで何かとってもイヤな予感がしてくるんですけど。
 そして監督の勝負服ですが、どうやら哲さんもジャージを着ることにしたようです。全国2,500万人のジャージ愛好家(含むオレ)にとっては喜ばしいことですが、「退場したらボーズ」という伝統と同じように「札幌の監督はジャージ。たとえファンハールが来てもジャージ」というような引っ込みのつかない事態になりつつあるような気がします。

 ところで、ブラジル留学に行っていた中尾が向こうでの試合中に骨折してしまうアクシデントに見舞われて帰国した模様。同期の山瀬や1つ下の今野がバリバリ試合に活躍している一方で、同期の遠国が解雇となってしまった現在、かつてはU-18日本代表に選出された経験がありながらも札幌ではほとんど出番のなかった彼にとっては、3年目となり監督も替わった今季は色んな意味で勝負の年となるはずですが、そののっけから骨折でリタイアとはよくよくついてないようです。まぁ、いざ海外から帰ってきたら所属元のチームが2部に落ちていたという、カンボジアから帰ってきたら家が焼失していた池中玄太を地で行った西澤選手に比べればまだいいのかもしれません。骨折は仕方ありませんけど、そのまま予後不良という事態だけは避けてもらいたいものです。

2002年1月21日

栗山の憂鬱

 ブエナスタルデス! 栗山町の関係者のみなさんには言ってはいけない挨拶で始まりました。「文章の4分の1がモイスチャー」サッカー百鬼夜行でございます。そんなわけで、今日は「栗山町、最後の最後で三国町にメキシコ代表のキャンプをかっさらわれた事件」について語ってみようかと思います。
 このことについてざっと説明をしますと、コンサドーレも練習場として使用しているスポーツ施設「レオスパーク」を持つ栗山町が誘致に動いていたメキシコ代表のワールドカップの際のキャンプ地が、福井県三国町にある「テクノポート福井」に決定した、ということです。
 まぁこれだけならば別になんてことのないニュースなのですが、元札幌監督のウーゴ・フェルナンデス氏が持つパイプを利用し、2年近く前からメキシコ代表に絞って誘致を進めてきた結果、メキシコサッカー連盟の幹部から内定をもらっていたはずの栗山町関係者にしてみれば、まさに青天の霹靂といいますか秋天の陽炎といいますか、府中の二千には魔物が棲むといった感じの出来事。約8,000万円をかけた結果がコレでは、関係者の心境たるや小学校から私立の学校に入れて育てた息子がおかまになっていたくらいのものではないかと思います。

 つってもまぁ、こういうのは各々の事情があることですから栗山の事情だけを聞いてあれこれ言うことは避けますけど、とりあえず栗山町の関係者も外人との口約束なんてないも同然ってことを知らなかったんでしょうか。知っていればもう少しやりようはあったんじゃないかと思います。どうしても誘致したいのなら、メキシコサッカー連盟の幹部にしこたま呑ませてべろんべろんにして契約書にサインさせるくらいのことはしないと。

2002年1月23日

出発の日

 柱谷哲二新監督の下で2002年シーズンに臨むコンサドーレ札幌は、昨日オーストラリアキャンプに出発しました。チームが設立した1996年から始まったこのキャンプももう今回で5回目(98年はメキシコ、99年は石垣島)。当初は「貧乏チームのくせに海外合宿なんてやる余裕があるのか」と、まるで「のび太のくせに生意気だ!」と言わんばかりの批判をサポーターから受けたこともあるこのオーストラリアキャンプですが、この時期は降雪のため北海道での練習は出来ませんから、イヤでも道外で長期合宿を張らなければいけなくなります。で、往復の飛行機代はスポンサーである日本航空(株)様が負担してくれますから、行ってしまえば日本より物価の安いオーストラリアのほうが安上がりに済みます。また、日本から遠く離れた場所で練習するため、他チームに情報が漏れにくいというメリットもあります。まぁ、この合宿では身体づくりがメインで戦術的なトレーニングはあまり多くないでしょうから、見たってしょうがないっちゃあしょうがないんですけどね。
 そんなわけでもう恒例となった感のあるこの合宿ですが、今回はなにやらちょっとした問題がある模様。ニッカンスポォツ北海道によると、昨年ヨーロッパで猛威をふるった家畜伝染病「口蹄疫」の影響で、選手に人気のあったレトルトカレーの持ち込みが禁止になってしまったそうです。海外生活で一番苦労するのが食事といいますが、昨年は200食のレトルトカレーを持ち込み選手からも好評だっただけに、DF大森健作(自称カレー通)が「何とか現地でカレーを調達してくれ」と懇願するなど選手はかなり残念な様子。その気持ちを吐露する新人GK阿部のコメントは「夕食に出されるとガッツポーズするほどカレー好き。がっかりです」。

 するなよ。ガッツポーズなんて。

 つうか、出される前に作る匂いでわかるだろ。家の50メートル手前から。なんといいますか、なにやらオモシロ人間の予感がぷんぷんするルーキーのコメントですが、それはともかくとして宿命となっている練習場難民に加えて今年はカレー難民です。なんでこんなにキレンジャー多いのよ。まぁオレも好きですけど。

 さてオモシロ人間といえば「元祖オモシロ人間」ビジュ。皆さんもご存知の通り彼はこれまでウニオン・ソン・ジョン・デ・アララスというブラジルのクラブからのレンタル移籍だったのですが、北海道新聞サイトによると今年札幌に完全移籍となったとクラブから正式発表があったそうです。相変わらずオフィシャルサイトのニュースリリースにはビジュの「ビ」の字すら見当たらないのですが、1999年途中から加入して以来、その風貌やプレイっぷりやめちゃくちゃな身体能力から「野生児」「ナメック星人」「強化人間」「自動人形」「闇に隠れて生きる」など好き放題言われてきた(主にオレに)彼も、レンタル期間2年半を経て4年目にしてようやく完全移籍となりました。
 そんなビジュですが、実は「札幌の歴代外国人選手の中でもっとも長命」という誰も気づかないような地味記録を更新し続けています(※)。昔の反省からか、現在は補強選手は極力レンタルという策を執っている札幌においては、エメや俺王様のように活躍しすぎて引っこ抜かれるワケじゃなく、かといってヂネイやリカルヂーニョのようにとっととクビになるワケでもないといういいんだか悪いんだかわからない選手が残っていくんでしょうねぇ。まぁオモロいからいいです。

 あと、久しぶりにリンク追加です。SchmittさんのConsadole Data Bank。よく利用させていただいているので感謝の気持ちを込めて。

 ※…現時点で最も在籍期間が長いのはペレイラ(1996~98)でした。

2002年1月26日

ロブソンフィーバー

 JFL、J2、J1と各カテゴリで得点王を輩出した札幌の外国人FWに新しい歴史を刻めるかどうかが期待される新外国人ロブソン。ロシア1部リーグ得点王、UEFAチャンピオンズリーグ経験者という歴代の外国人選手の中でもピカイチの実績を誇る選手ではあるものの、J2でライバルチームの主力選手として何度も戦ってきた俺王様とは違って、長いことロシアでプレイしていたために前情報がほとんどありませんでした。少ないながらもこれまで各所で出ていた情報を総合した限りでは、プレイとしてはどうやら俺王子と俺王様を足して2で割ってさらに俺様を引いた感じらしいといった感じでしょうか。
 …何だかいいのか悪いのか判断つきかねますけど、とにかくロブソンは俺王様の抜けた大穴を埋めうる人材と目されるだけに、現在行われているキャンプから伝わってくる情報でいろいろと特徴などを得たいのは皆さんも同じだと思います。その辺は各道内メディアもわかっているようで、毎年キャンプの話題は新戦力を中心に記事を作っており、連日いろいろな情報が紙面を飾っています。

 で、このロブソンについては昨日の各新聞には、「インターバル走1000m×6本で最後の1本をリタイア、ベスト体重を5kgオーバーしているロブソンに石栗コーチから減量指令?」いう記事が載っていました。何だか去年もあったような光景ですが、ロブソンといえばウィルもロブソン(ウィル・ロブソン・エミリオ・アンドラーデ)。去年のロブソンはこのオーストラリア合宿を減量から始めて得点王に輝きましたが、だからといってそこまでマネするこたねぇと思うんですけど。
 何となく俺王様の抜けた穴をまずはネタ方面で埋めているような印象ではありますが、まぁとりあえずはいい選手であろうことは間違いないわけで、道新スポォツには「昨季までロシアリーグの強豪・スパルタク・モスクワに4年半在籍。その間、スペインの強豪からオファーがあり、ロシア、カメルーンから国籍取得を熱望される折り紙付き。」と紹介しています。ふーん、すごいじゃないか。

 …カメルーン?

 ロシアはわかるとしても、なぜカメルーン? 相変わらずオフィシャルサイトでは一山千円の扱いなので詳細な経歴はわからないのですが、ニッカンスポォツ北海道に載っていたプロフィールでは「92年にマツバラ入団、その後ブラジルの3クラブでプレイした後にスパルタク・モスクワに移籍」とありますから、カメルーンでプレイした経験はないようです。いくら何でもまるで関係ない国から帰化を要請されるなんてトンチキな話はないでしょうから、別に彼自身の過去や生い立ちに興味はないのですが、この紹介記事が間違いでなければロブソンはカメルーンと何らかのつながりがあるのでしょう。奥さんや親御さんがカメルーン人とか、祖先がカメルーン出身とか。

 「実はエドウィンでした」というオチは勘弁な。(※)

 そんな感じで2002年のメンバー紹介も作ってみました。

 (※)…その後の情報によりますと、「ロブソンがカメルーンから帰化要請を受けた」のではなくて、「スパルタク・モスクワのロマンチェフ監督(ロシア代表監督でもある)がロブソンへの帰化要請だけでなく、もう一人スパルタクのチュイーゼというカメルーン出身の選手にも帰化要請をしていた」ということらしいです。(情報提供はあきのさん。ありがとうございました)

2002年1月29日

全てを肥えし者

 宗敵の陰謀により先週の土曜日曜と連続で休日出勤していたため、ただでさえ嫌いな月曜日がものすごく嫌いになって、心の全てを閉ざしてしまって盗みの味憶えて黒いリストに名前を残した先輩、ってな有様です。つうか、もう火曜だし。
 コンサドーレは相変わらずオーストラリアでキャンプの真っ最中、順調にメニューを消化しているようです。今野の誕生日を誰も祝ってくれなかったりとかオフにトップレスのパツキン美女を期待して海岸に繰り出したら寒くて誰もいなかったりとかそれなりに細かいネタはあるにはあるのですが、そんなネタを全てまとめて吹き飛ばしてくれたのは、やはり「あのお方」でした。そう、昨季札幌で大方の予想を覆して相手のゴールマウスに24もの俺ゴールを叩き込んで得点王を獲得した俺王様ことウィルです。

 思わず活躍が過ぎてしまって引く手あまたとなってしまい、札幌が手放さざるを得なくなったため今季は横浜Fマリノスへ移籍したのですが、その新体制発表の席に現れた俺王様の肥えたお姿に関係者は驚きを隠せなかったそうです。ニッカンスポォツでは「ウィルに減量指令」、スポォツニッポンに至っては「昨季得点王・ウィルが激太り! 」とまで書く始末。つうか俺王様が太って帰ってきたなんて今に始まったことではなく、去年も岡ちゃんからダイエット指令が下ってましたし、大分時代だって太って帰ってきていたことがあった、つうか俺王様が普通の体重で帰ってきたことなんて一度もないんですけどね。冬眠前のクマみたいなもんです。
 昨季は低迷したとはいえ、横浜は伝統もあり日本代表選手を多く抱えるチーム。そんなチームに三顧の礼を以て迎えられたJ1得点王だけに、いやが上にもこれまでより注目されるのは必然です。なので、どうせ大分や札幌などのローカルチームになんてまるで興味がなく、昔の俺王様なんて全然知らない全国メディアの記者が大げさに言ってるだけでしょう。ましてや俺王様は昨年11月17日の柏戦で靱帯を痛めて以来試合に出ておらず、いわば故障放牧明けといった感じですから、多少は太って帰ってくるのは当たり前の話。仮にも相手はJ1得点王様、太ったんじゃなくて「貫禄がついた」くらいは言ってほしいところだよななどと思って写真を見てみました。

 誰だこの間下このみは。

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