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2002年5月 アーカイブ

2002年5月 1日

シュートは打たなきゃ入らない

 今年初の厚別での試合となった磐田戦は、Jリーグの公式記録を見ると、ホームスタジアム中のホームスタジアムでありながら札幌のはなったシュートはたったの6本だとか。この試合は見てないのでなんとも言えませんが、「シュートを打たない病」は未だに改善されていないようですね。
 というわけでそんなチームにオレからの言葉を。

 思い切りパクリですけどね。

 仙台では是非新居を使ってもらいたいものです。つうか、むしろ使え。

2002年5月 4日

外科手術が必要です

 3日に行われたナビスコカップ予選リーグ第3節は、仙台スタジアムでベガルタ仙台とのアウェイゲームを戦い、1-0で破れてしまいました。これで札幌は1分け2敗でグループ最下位となり、太陽が西から昇らない限り予選突破はほぼ絶望的な状況になりました。
 今日もよくわからない、しかも後手後手の選手交代で選手を見殺しにした柱谷監督。まぁ監督の仕事のうち試合中の選手交代はそんなに重要なウェイトを占めるわけではないのですが、最も重要な仕事、つまり「チームづくり」に関しても、お世辞にもきっちり出来ているとは言えません。チーム作りもダメ、その上試合中の采配も全然ダメというなら、柴犬をベンチに置いておいたほうがよっぽどマシだと思うんですがね。なごめるから。
 これで札幌はナビスコカップ無得点記録を絶賛更新中。未だに長いトンネルに入ったまま、というよりは国境の長いトンネルを抜けるとそこはトンネルだった、という感じになっています。主力選手をアンダー代表で欠き、中2日で試合が続き選手が疲れているという要素はありますけど、それは今まで戦った柏や磐田、仙台だって状況は似たようなものなのですから、何の言い訳にもなりません。確かに札幌は選手のレベルは高くありませんけど、それでも守備も攻撃も基本的なことがきっちり出来てさえいれば、いくら何でも10試合もやってたった1つしか勝てないなんてことはないんじゃないでしょうかね。
 しかしまぁ話は変わりますが、この日行われたナビスコカップ8試合のうち、決着が付いたのはこの仙台×札幌戦を含めてわずか3試合。引き分け5試合のうち4試合がスコアレスドローという結果に終わっています。そりゃ中2日で大して重要じゃない試合が連続すれば、ケガだって怖いでしょうしチーム全体のパフォーマンスだって悪くなろうもの。一体何のためにこんな試合をやっているのかサッパリわかりません。クラブに対してベストを尽くすことを強要するなら、リーグはベストのパフォーマンスを出せるようにするべきだと思うんですけど。世が世なら間違いなく「あんた馬鹿ぁ!?」と言われてますよ。

 そんな感じで仙台戦観戦記アップ。これでしばらくは観戦記はお休みとなります。次に書く頃には観戦記のタイトルが変わってるといいなぁ

2002年5月 6日

遠い夜明け

 2試合続けての仙台との対戦となったナビスコカップ予選リーグ第4節。リーグ戦同様最下位をひた走るコンサドーレ札幌ですが、試合前日一向に点が取れないチームに関して、主将の板長が「『なかなかヒットが出ない状態。イチローだって打てないときはある』と野球に例えた(道新スポォツ)」そうです。
 言いたいことはわからないでもないのですが、札幌の場合はどっちかというと「デシンセイだってたまにはホームランを打った」と言ったほうが正解だと思いますが、実際どうなったかと言いますと、取った得点はオグのPKによる1点のみ。どうやらポテンヒット1本だったみたいです。このPKを得たときのプレイで小村を退場に追い込んだまでは良かったのですが、直後に森保にミドルを決められ同点に追いつかれ、その後は1人少ない仙台を攻めきれず1-1のドローという結果だったようです。
 まぁオレは試合を見てないのですが、主力を欠くアウェイゲームで、試合時間60分を残して10人となったにも関わらずドローに持ち込んだのですから、仙台の清水秀彦監督にとっては最高の結果でしょうね。期待の"King of Sapporo"も前半早々に負傷退場した平間との交代で入ったものの不発に終わったみたいですが、同期入団のルーキー・相川もこの試合でプロ初出場を果たし、なかなか積極的なプレイを見せていたようです。相川が試合に出たことによって、これでケガで戦列を離れている森くんと練習生の田澤、そして控えGKを除いた全メンバーが試合出場を果たしたことになります。ナビスコカップ全試合に出場している吉瀬も含めた若い選手たちにとっては、これまではおぼろげだった「プロ」という世界の実像が見え、現在の自分たちの持っている力量との具体的な差が把握できたことは、これからの練習の励みになるでしょう。100%練習試合と割り切れば
 いずれにしても、予選リーグ4試合を終えた段階で札幌の勝点はわずかに2ゲットズザー! といったところ。磐田vs柏もスコアレスドローに終わったためまだ数字上は予選リーグ突破の可能性は残されていますが、大前提として札幌には2連勝というこの時点で既に絶望的な条件が必須でして、現実的にはちょっと難しいと言わざるを得ません。磐田と柏を連破出来るくらいなら最初からこんなに苦しんでないと思いますし。
 というわけで、今日の函館の観客動員も8,000人台に留まったくらいどのみちどうでもいいナビスコカップ。残りの試合は是非とも阿部をスタメンで出して直接フリーキックを蹴らせてみるとか、いのっちをスタメンで出して吉川、曽田との筑波大トライアングルを形成してみるとか、健作をトップ下で使ってまごまごさせてみるとか、思い切りウケを狙ってみてもらいたいものですね。

2002年5月 8日

西が丘でマターリ

 現在のコンサドーレの状況はといえば、「簡単だから」といわれるがままに作った泥船がずぶずぶと沈んでいっているような感じで、このまま行くと助かろうともがいてもウサギにオールでバシバシ殴られて溺死パターン(バッドエンド)になりかねない状況ですが、今日はそんな「かちかち山」なチームからドナドナされている若者の話題に触れてみます。
 ご存知の通り、U-21日本代表の山瀬と藤ヶ谷がフランスのトゥーロンで行われているトゥーロン国際ユースに、U-19日本代表の今野が東京で行われているアジアユースの1次ラウンドに参加しています。トゥーロンユースのほうは昨日アイルランド戦が行われ、この試合で山瀬が30メートルのミドルシュートを決め、藤ヶ谷も先発出場して無失点に抑えて勝利に貢献(結果は2-0)したそうなのですが、トゥーロンも昨年は「スカパー!」で生中継されていたのに今年は影も形もなく、アジアユースも決勝ラウンドならばともかく1次ラウンドくらいじゃ鼻にもかけてもらえないようで、こちらもテレビ中継はありません。ペリーとても悲しい。
 まぁ幸いアジアユースのほうは西が丘サッカー場で行われていますので、本日その第1戦のモンゴル戦に行って参りました。モンゴルから連想される言葉はといえば、旭鷲山、チンギス・ハーン、モンゴルマン、キラー・カーンと、極めて偏った知識しか持ち合わせていないのですが(注・キラー・カーンは日本人です)、とりあえず今回U-19モンゴル代表を見てわかったことも、やたら国歌が長いということくらいでした。
 さてその試合のほうですが、お世辞にもレベルが高いとは言えないモンゴル代表に、開始早々から「見よ! これが日本サッカーだ!」とばかりに襲いかかります。その通りに馬場くん(東京)が抜け出してゴールキーパーと1対1となった場面で、シュートを打たずに中へパスしてゴールチャンスを失い、その直後にも茂木くん(広島)と坂田くん(横浜)が揃ってドフリーを立て続けに外すなど、極めて日本人的プレイを見せつけてくれます。しかし、そのいやーな雰囲気を変えたのがあの男、どう見ても他のメンバーと同年代とは思えないキャプテン・今野泰幸でした。ペナルティエリア左からの高木くん(香川西高)のフリーキックをヘッドで合わせ先制。ここから日本はゴールラッシュを見せ、前半だけで8-0と大量リードとなります。とはいえ、決定的なチャンスの数から言えば8点はもの足らない数字です。
 ハーフタイムを終えピッチに出てくる選手たち。西が丘サッカー場はコーナーフラッグ付近から入退場するので選手たちの顔がよく見えるのですが、よせばいいのに「今野ぉ~!」と呼んだところ、今野は顔を上げてこちらをちらっと見た後、馬場くんの陰に隠れたのはやはりイヤだったのでしょうか。
 後半もモンゴルに攻められる場面はほとんどないため今野自慢のワンワンディフェンス(山瀬直伝)も見られなかったのですが、それでも時々思いついたように前線に上がっていったり、ボールを持つたびに周りから同時に3人くらいから「今ちゃん! 今ちゃん!」と呼ばれるなどネタ的にオモロいシーンはいくつかありました。とはいえ、試合自体はレベル差のある相手との試合にありがちな「たるみモード」でこれといった見所もなく、結局後半は4得点に留まり合計12-0で試合終了。
 試合終了後の挨拶の時は、懲りずに「今野ぉ~~~!」と叫び続けた我々のほうにぺこりとお辞儀をした今野くんでした。

 それとリンク更新。kaz8さんのコンサドーレ札幌万歳は秋田からコンサドーレを応援するサイトです。

2002年5月10日

西が丘でマターリ2

 昨日トゥーロン国際ユースの第2戦が行われ、U-21日本代表は南アフリカと対戦。スタメンGKはフジではなく黒河(清水)が務めていたようですが、山瀬はスタメンでフル出場。松井(京都)が2ゴールしてリードを奪い、山瀬がダメ押しの3点目決めて3-0と圧勝を飾ったそうです。
 当然オレは試合を見ていないのですが、2chなどの情報によるとこの試合の日本は、どの世代も苦手としているアフリカ勢の「超人サッカー」をものともせずに華麗なサッカーを展開、高い組織力と個人技で南アフリカに付け入る隙を与えなかったとのことです。山瀬は2試合連続のゴール。未確認情報ながらアシストも決めた模様で、ヨーロッパのスカウトがわんさか集まるこの大会でその存在を充分にアッピール。各国クラブのスカウトは目の前で走り回る北海道犬に目を細めていたとか(妄想)。

 さて、そうなると気になってくるのがU-19代表の今野。本日はアジアユース(いつのまにかAFC U-20選手権と名前が変わっていたらしい)1次ラウンド第2戦のチャイニーズ・タイペイ戦が行われました。昨日から関東地方は雨に見舞われておりまして本日もずっと雨だったのですが、そんな雨には負けるものかとよせばいいのに今日も西が丘へ。
 西が丘へはキックオフをちょっと過ぎた辺りで到着。雨のせいか今日のお客の入りは芳しくありませんが、それでもキャプテンマークを付けた背番号6目当てにやってきたらしい顔見知りが何人もいます。雨の中、平日の夜、U-19、しかも1次ラウンドの試合に集まり、クソ寒い中ビールをかっ喰らう社会人。こんな大人にだけはなるなという見本です。生まれてすいません。
 しかし試合のほうはといえば、相手のチャイニーズ・タイペイはさすがに前回のモンゴルに比べれば骨のある相手でして、日本を相手に少しもひるみません。2人がかり、3人がかりで執拗にプレッシャーをかけ、空いたスペースもお互いが声を出し合ってカバーしています。なかなかいいチームです。日本は雨の影響もあるのか単純なミスが多く、徳永くん(早稲田大)の得点以外はさしたる見せ場もないまま1-0で終了。

 後半、開始早々にいきなり茂木くん(広島)がゴールを挙げると、現金なもので俄然日本選手の動きが良くなりました。タイペイの選手の足が止まり初め(そりゃそうだ。スゴい運動量だったもの)たこともあり、日本が攻め込む時間が長くなります。それに連れて今野が攻撃に絡む時間も多くなり、さらにはファウルでもつれて倒れた両軍選手のもとに駆け寄っていき自分も勝手にコケてみるなどおいしいところも持っていきます。気分を良くした今野はそれから10分と経たないうちに2試合連続ゴールとなる3点目を頭でゲット。事実上のダメ押しとすると、あとはやりたい放題となります。
 そして、この日札幌サポーター的に一番の見所がやってきました。ハーフウェイライン付近で無理矢理ボールをふんだくった今野は、何を思ったかいきなり怒濤のドリブルを開始。チェックに来た相手選手を逆に吹っ飛ばす小細工一切なしの漢らしい直線ドリブルで相手ゴールに向かって30メートルを走破。最後のDFを吹っ飛ばしてペナルティエリアに侵入しました。
 ところが、あとはシュートをぶち込むのみという場面にまで持っていった今野は、どうやら肝心なところでチームでのクセが出てしまったらしく、ゴールに入れずに大きくクリアしてしまいました。普段クリアばかりやらせててごめんよ。つうか、峰打ちですか?
 その後もサイドに流れてクロスを上げたり、そうかと思えばいつの間にか戻ってディフェンスしていたりと自慢の犬っぷりを随所に見せた今野ですが、試合は茂木くんの2ゴール目と坂田くん(横浜)のPKでトータル5-0で終了。日本は1次ラウンド突破をほぼ確実にしたのでした。

2002年5月12日

西が丘でマターリ3

本日のナビスコカップ予選リーグ最終節・対柏戦(室蘭)は、和波のゴールで1-0で勝ったそうです。以上。

 また、昨日行われたトゥーロン国際ユース・対ドイツ戦は3-3の引き分けに終わったそうです。日本の得点は阿部(市原)と中山(ガンバ大阪)が2ゴールとのことです。山瀬は後半15分に交代。中山の得点は山瀬のシュートのこぼれ球をプッシュしたものという情報もありますが、正確なところはよくわかりません。で、先発した藤ヶ谷はどうやら「やっちゃった」模様。1失点目はトラップミスをかっさらわれての失点ということで、なんつうかさすがは洋平の後を継ぐものといった感じです。精進しましょう。

 そして本日はAFC U-20選手権1次ラウンド・対ラオス戦も行われましたので、別に誰にも頼まれてないのに今日も今日とて西が丘へ。過去2戦を大勝し、よっぽどのことがなければグループ突破は確実な日本。2試合とも体力的にも精神的にもそれほど負担のかかるような相手ではなかったとはいえ、中1日での3試合目ともなると、特にこの世代の選手たちにとってはさすがに飽きも来るというもの。日曜日の夕方、天気も良かったためスタンドには結構な数のお客さんが詰めかけておりました。
 今野は前半にセットプレイからキーパーがこぼしたボールを無人のゴールに蹴りこみ、3試合連続となる先制点をゲットしました。今野が空中戦で競ったボールをキーパーがファンブルし、さらには相手DFのクリアミスで再び自分の目の前にこぼれてきたボールをトラップして反転しながらシュートしたものですが、普通ならば慌ててミスしがちな場面を冷静に処理しての得点。さすがに守備のミスにはチームで慣れっこなようです。
 とはいえ、試合全体としてはこれといった盛り上がりもありませんでした。あんまり褒められたものでもないプレイの連続に、素人ながらに松本くん、角田くん、美尾くんといった京都勢がメンバーに入っていないことに対して違和感を感じていたのですが(2戦目からスタメン落ちしている馬場くんは今日も出番なし。期待してるんですがねぇ)、それでも成岡くん、茂木くん、坂田くん(PK)、平林くんがそれぞれ1ゴールずつを挙げ、今野のゴールと合わせてトータル5-0で終了しました。
 試合後、インタビューを終えた今野に「今日札幌勝ったぞ。」と告げると、「え、ホントですか?」と答えてきました。オレが「1-0で勝ったよ。和波がゴールしたんだって」と教えると、今野は笑顔で「そうですか」と言いました。その後はJFAの広報らしき人に何度せかされても、それを無視して最後まで1人1人のちびっ子にサインを続けていたファンサービス旺盛な今野くんでしたが、帰り際に「じゃあ神戸で会おうな!」と叫ぶと、現実に引き戻された今野がかなりひきつった笑顔を見せたのは、オレの気のせいだったことにします。

2002年5月14日

世界大会の影で

 5月12日を以てナビスコカップの予選リーグとJリーグディビジョン2が終了。札幌のようにナビスコカップ自体が終了したチームも含めて、これにより社団法人日本プロサッカーリーグのワールドカップ前の全日程を終了したことになります。これ以降は今月末の31日から始まる4年に1度の大イベントであるワールドカップが終了するまで、約2ヶ月という長い中断期間に入ります。17日にはそのワールドカップに出場する日本代表メンバーが発表される予定となっており、サッカーファンの皆様におかれましては徐々にワールドカップモードに突入している頃ではないかと思います。
 とはいえ、今回のワールドカップには札幌の選手は誰一人かすりもしないことが容易に予想されるため、今回の日本代表に関しては「チームとしての勝敗」以上の興味は湧かないでしょうし、また、ワールドカップに出場する他国の代表チームとテストマッチを行うJリーグチームもいくつかありますが、ご存知の通りコンサドーレ札幌は何の予定も入っておりません。栗山町のメキシコ代表のキャンプ誘致が成功していれば、おそらくコンサドーレ札幌対メキシコ代表のテストマッチが実現していたと思われますが、ご存知の通りメキシコは土壇場で栗山さんではなく三国さんを選び、哀れ栗山さんは見事にフラレてしまいました。この辺りは何となくドロドロとした大人の事情がありそうな気もしないでもないので深く突っ込むのは避けますが、とにかく北海道ではキャンプを行うチームがないため、結局それも皮算用に終わってしまっています。
 そんなわけでコンサドーレ札幌は世間の喧噪とはあんまり関係なさそうな上、注目されている柱谷哲二監督の去就や新外国人選手の獲得についてなどは現時点では表面上は大きな動きは見られず、さらにチームもオフに入っているため、札幌がらみでは特に取り上げるようなネタもありません。何の憂いもなく「ギレンの野望」をやることが出来ます

 しかしチームの外に目を向けてみると、昨季のJ1残留の立役者である俺王様(新横浜ラーメン博物館にレンタル中)が、12日のナビスコカップ対市原戦(三ツ沢)で刃傷沙汰を起こしたそうです。新聞など各方面の情報を総合すると、DF中西ともつれて倒れた際に俺王様が踏む形となり、さらにはそのプレイに激昂したGK立石に右ストレートだか右フックだかをお見舞いしてノックアウト。中西は右耳の裏を10針縫い、立石は左のまぶたを4針縫うケガを負った、ということです。
 現場で見ていたわけでもないですし映像を見たわけでもないので言及は避けますが、踏んだだけで10針、パンチ一発で4針というクリティカルヒットを与えた文字通り「エウテホ」な俺王様、横浜サポーターが歌っている通りの「しびれる破壊力」です。南斗水鳥拳の使い手だったとは知りませんでした。

2002年5月17日

代表メンバー発表

 皆さんもご存知のことかと思いますが、現在コンサドーレ札幌は2週間のロングオフ。U-21代表としてフランスで奮闘中の山瀬と藤ヶ谷を差し置いて、選手たちは連戦で疲れた心身をリフレッシュさせていると思いますが、各道内メディアも札幌がらみのネタがないようで、新聞にはこれといった記事もありません。
 しかしサッカー的に言えば本日は目前に迫ったワールドカップの日本代表メンバーが発表される日でした。選ばれたメンバーの詳細については色んなところにアップされているので省略しますが、顔ぶれについてはまぁ予想を覆すほどのものではなかったといいますか、あんまり驚くようなメンバーではありませんでしたね。漢・秋田も含めて。もちろん、当落線上にいる選手が所属しているチームや代表候補選手を多く抱えるチームのサポーターの皆さんにとっては悲喜交々のメンバー発表となったと思いますけど、札幌のようにハナっから蚊帳の外のチームのサポーターにとっては「まぁ順当」というのが正直な感想ではあります。これでもしさりげなく盛田剛平の名前があったり、「世界に通用するから」という理由で高橋尚子がメンバーにいたり、「ムードメーカーが必要」ということでパンチ佐藤が代表入りというテレビ東京テイストな選出をされたりしたらビックリしますけど。
 それにしてもまぁサポーターが騒ぐのは当たり前としても、マスコミの大騒ぎは異常ですね。4年に1度の一大イベントに参加を許される「選ばれし者たち」ですから普通の国際親善試合やトーナメントとは意味合いが違ってくるのは仕方がありませんけど、なんつうかドラフト会議のような雰囲気で違和感ありまくりで、トルシエ代表監督がサボりたがったのもわかるような気がします。そういえば「トラベルチャンス見送り」となった中村俊輔ですが、代表メンバーから外れたことを知ったときの水沼貴史さんの落胆した表情はかなり印象に残りました。その落胆っぷりたるや、ドラフトで8球団による競合でくじを引き当てたのがよりによってロッテだったときの小池秀郎の表情を思い出しました。

2002年5月21日

キャンプ地エレジー

 今朝の新聞でも大々的に報じられていましたから皆さんも既にご存じのことかと思いますが、ワールドカップに出場するセネガル代表が合宿を行う静岡県藤枝市のキャンプ地実行委員会事務局次長が自殺したそうです。記事によりますと、藤枝市とセネガルの間で日程調整やキャンプ中の練習試合についてなどでトラブルが相次ぎ相当な激務だったそうで、セネガルとの交渉役だったこの方は周囲に「疲れた」と漏らしていたと言うことです。
 なんとも痛ましい事件ではありますが、新聞にも書かれているように外国との国情や文化の違いに神経をすり減らしていたのでしょう。外国人との取り決めなんてあってないようなもんですし、相当なプレッシャーになっていたことは間違いないでしょうね。それだけならまだしも、セレモニーやらレセプションやらあれやこれやといらんイベントをいろいろと企画しなければならなかったのもあるんじゃないですかね。彼らはサッカーしに来たんだからサッカーだけやらせておけばいいのに。

 といった感じで、藤枝市に限らず各キャンプ地の担当者の方々もかなりの苦労をされているようで、同じくアフリカから出場するカメルーンが予定通りに来日せず、大分県中津江村の方々をやきもきさせているとか。22日にはサガン鳥栖との練習試合が組まれているらしく、最悪の場合は「福岡空港から中津江村をスルーして鳥栖に直行」という可能性もあるようです。いくら国民性が違うとはいえ、この辺りはきっちりしてくれないと困りますよね。
 というわけで、カメルーン代表チームは何があっても中津江村に行って練習するように。鳥栖との練習試合にはボビーとかサンコンさんとかビジュとかにカメルーンの代表ユニフォームを着せて「影武者カメルーン」を送り込んでおけばよろしい。どうせ誰も顔の区別なんてつかねぇんだから。

2002年5月23日

マクロブ帰国

 札幌サポーターの皆さんは既にご存知のことかと思いますが、昨日ロブことロブソン、マクさんことマクサンドロの両ブラジル人との契約を解除したクラブから発表がありました。移籍した俺王様、引退した名塚が去った札幌にとって、方やロブはチャンピオンズリーグ経験者、方やマクさんはブラジル時代はキャプテンを務めていた豊富な経歴をひっさげて、それぞれ攻撃と守備の要としての活躍を期待されて来日した助っ人選手ですが、フタを開けてみればロブはゴールどころかボールキープすらままならず、磐田戦での一世一代の退場劇が印象に残っているくらいで、マクさんに至っては開幕戦でいきなり藤本にさっくり抜かれたのを始め1対1では先生以上の弱さを発揮する始末で、両者とも開幕から数試合でスタメンはおろかベンチからも外れる始末。ここ2年ほど極限まで俺様を誇った俺王子や俺王様、風のようにやってきて帰っていったアダウト弥七と「当たり助っ人」が続きましたが、今回の2人は早い話が量産型ブラジル人の域を脱しなかったようです。
 なお、二人とも既に北海道を離れたそうです。彼らについてはなんつうか「悪いときに悪いチームに来た」ということで同情の余地もあるのですが、いずれにしても彼らはついぞ厚別の芝を踏むことなく帰国ということになりました。

 まぁ「助っ人選手」である以上は仕方のないこととはいえ、今の札幌の惨状は何も彼らだけの責任ではないのですが、彼らに責任を取ってもらった方は、せめて札幌ドームの芝を踏めるようにがんばってください。

2002年5月25日

今更新事実

 ワールドカップ前の最後のテストマッチであるスウェーデン戦、一番興奮したのが和田アキ子の君が代だったというオチに終わった日本代表ですが、コンサドーレは相変わらずオフのまっただ中(練習再開は来週から)。ということで、相変わらずコンサドーレ関係のネタはまったく乏しいのですが、毎月25日はオフィシャルマガジン「月刊コンサドーレ」の発売日です。で、本日その発売日ため定期購読しているオレのもとにも送られてきました。今月号の表紙は、函館での鹿島戦で初出場初ゴールを決めた新居辰基なんですが、なんつうかもう、「ふてぶてしい」というのはこんな感じですとでも言いたげなショットです。とても18歳には見えません。
 もっとマシな写真はなかったのか? という気もしますが、今年のポスターカレンダーにも似たような感じで写っているので、アレが一番まともな写真だったのかもしれませんね。まぁオレ的には萌える写真なんですが。
 ところで、北のくにから哀をこめてに書いてありましたが、先日契約解除となったマクさんことマクサンドロ選手は、レンタル移籍ではなく完全移籍だったようです。たぐさんによると「札幌に移籍した際にコリチーバを解雇されていた」そうで、うちの選手紹介でも「コリチーバからのレンタル」と思い切り書いておりますが、それは間違いです。謹んでお詫び申し上げます。今となってはどうでもいいことですけどね。まぁそれもこれも獲得時にはオフィシャルサイトに何の発表もなかったが故なんですけど、クビになってから判明するのもある意味スゴい話です。
 しかし札幌に来たときには前のチームを解雇されていたのなら、マクさんが当初から辞書を片手に日本語を覚えるなど日本になじもうと努力していたのも納得です。年齢的な面から考えても、きっと日本に新天地を見いだそうとしていたんですね。そんな彼が結局日本では所属したチーム数を1つ増やしただけに終わったわけですが、札幌に来たのがJ2だった時代であればそれなりに活躍していたかもしれないと思うと、つくづく悪いときに悪いチームに来たという他ありません。

2002年5月27日

証言

 コンサドーレの練習は今日から始まっているのですが、今週一杯くらいはまだ若手選手のだけ「虎の穴」のようです。それでもベテラン・中堅クラスの選手も体を動かしに宮の沢のグラウンドまで来ており、さらには伝庄、鈴木らのユース所属選手5名も参加と、かなりごった煮的練習風景だったみたいですね。
 選手全員が揃っての全体練習は6月3日からとのことです。まぁその頃にはワールドカップが始まってますから、とりあえず闇に隠れて生きることになると思いますが。早く人間になりたい。

 ところで、オレはへっぽこながらフットサルをやっているのですが、オレが所属しているチームに渋谷区で少年サッカーのコーチをやっているヤツがいます。そのチームメイトから興味深い話を聞きました。以前渋谷区で割と大きな少年サッカー教室があって、彼も引率か何かで参加した時の話です。
 こういったサッカー教室というのは、だいたいどこも元プロ選手をコーチに呼んだりするのが普通なんですが、ご多分に漏れずそのサッカー教室にも、ある元プロ選手がやってきたそうなんですよ。そのチームメイトはプロのコーチじゃないですし、本人曰く「コーチといってもそれほど本格的なものではない」そうなんですが、それでも相手がプロ選手だろうが子供だろうが「人を教える」ことに関してはそう大きく変わるものではありません。むしろ子供のほうが飽きっぽい分だけ、コーチとしては大変かもしれません。そんな彼がその元プロ選手を見て思ったことは、「コイツ教えるのめちゃくちゃヘタ…」だったそうです。なんつうか、指導一つとっても悪い見本しか示せなかったらしく…。

 ちなみにそのコーチは、現在とあるJ1チームで監督をやっています。

2002年5月29日

古今東西世界大会

 「週刊プレイボーイ」という雑誌があります。女性の方はあまりご存じないかと思われますが、「週刊少年ジャンプ」で有名な集英社が刊行している雑誌で、内容としては女性アイドルの水着グラビアや野球や車、競馬パチンコなどの記事がメインで、言ってみれば「週刊大衆」や「週刊現代」などのいわゆる「おっさん週刊誌」の青年向け版といった感じでしょうか。その辺りは、ゆでたまご先生や宮下あきら先生といった、かつて我々がガキだった頃の「週刊少年ジャンプ」で活躍されていた漫画家がひっそりと連載しているあたりからも伺い知ることが出来ます。
 別にオレは普段から週刊プレイボーイを愛読しているわけではなく、今週はたまたま買った、というか白石美帆ちゃんのグラビア目当てで買っただけなのですが、ワールドカップを目前に控え、どちらかといえば普段は野球記事が多い「週刊プレイボーイ」も今週はサッカー記事が多く載っていました。しかしそこはかつて柱谷哲二のコラムを連載していたこともある週刊プレイボーイ、U-21のトゥーロン国際ユースの記事があり、山瀬の写真も載っていたのを始め、ワールドカップの記事でもただの展望記事では終わらずに、何を血迷ったのかエレクトロニックアーツ・スクエアの「それなら君が代表監督」というゲームで全64試合をシミュレート、その結果日本はアルゼンチンとベスト4をかけて激突するという、全身全霊を尽くした気休めをやっていたのがひと味違いました。98年のフランス大会の組み分け決定後、それまで硬派な総合スポーツグラフ誌としてならしていた「Number」が、初めてワールドカップの舞台に立った日本がアルゼンチン相手に感動的な勝利を収めるという後藤健生さん入魂の妄想小説を載せていたのを思い出しました。

 しかしそれよりも一番最強だったのが、もう一つワールドカップがらみの企画として載っていた、日本と韓国のカメラマンが相手国の女性のヌードを撮る「日韓共催ヌード」という、まったくもって意味がわからない企画でした。さすが週プレといったところでしょうか。

2002年5月31日

新助っ人獲得発表

 ロブとマクさんの逆噴射を受けてフロントスタッフが早々に新しい助っ人を探しに行っていたのはもはや公然の事実となっていましたが、この2人退団によりサポーターの間では新助っ人選手の入団が俄然現実味を帯びてきておりました。しかし、当初は「5月20日には発表」という触れ込みだったものの、助っ人のすの字も見当たらないまま10日が過ぎてサポーターをやきもきさせていましたが、昨日になってワールドカップ開幕直前となりみんなの注意がそっちにいっている間というこれ以上ないベストタイミングでようやく発表となりました。
 ただし、フロントは攻撃的MFとストライカーを探していたのですが、FWに関してはブラジルには条件に合う選手がおらず、現在東欧の選手を獲得する予定のようです。しかしまだ契約には至っていないようで、今回は左のMFのみの発表となっています。
 で、その選手。名前はジョゼ・ジャディウソン・ドス・サントス。登録名は「ジャディウソン」で、もうのっけからゴール裏泣かせの名前ですが、1977年12月4日の24歳、164cm61kgと小柄な選手です。 まぁまだプレイを見たことがないのでどんな選手かわからない状態ですから、過剰な期待をかけるのは酷ではありますが、日刊スポォツ北海道には「運動量が豊富で状況判断が早く、チャンスメークできる。」という石井肇強化部長のコメントが載っておりました。まぁ、早い話がやっぱり犬を連れてきたようですね。前所属のグアラニでは左サイドバックをやっていた通り、左サイドを得意とすることから見ても多分左利きの選手だと思いますが、年齢といい身長といいポジションといい、昨季所属していたアダウトを彷彿とさせます。
 2ndステージから札幌にやってきたアダウトは、清水戦での豪快な同点ミドルやヴェルディ戦での決勝点といった重要なゴールを決め、またその甘いマスクやカツ丼好きというキャラクターで、実働時間の割には印象の深い選手です。チームの危機にやってきたという点でも似てますし、サポーターとしてはアダウトと同じようにチームを救ってもらいたいところですが、日刊スポォツに掲載されていた写真を見ると、どうやらそのジャディウソン選手はこんなツラみたいです。↓


ジャディウソン選手

 宇宙人が増えました。

 チームの強化担当は「アダウトより上」と言っていたそうですが、名前といいツラといいこれだけツッコミどころ満載だともはやプレイはどうでもよくなってくるような気がします。

 それとリンク追加。コンサドーレを応援するお母様方の集うConsa MAMAです。

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